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誰かに言って欲しかった

私の家にそんな風体の子が客としてやってきたのは、後にも先にもない。
髪は中途半端な茶色。アイメイクは濃いめのピンクパープル系で、パールがキラキラしている。長いつけ睫毛は純和風の顔にあまりマッチしていない。眉は元々どう生えていたんだか、ひょんと不自然な形に描かれている。歯は眩しいばかりに真っ白だ。
手の爪は色々不思議なものがてんこ盛りになっている。地色は紫。ルーズなアイボリーのセーターにダメージジーンズ。靴下だけが何故か可愛いオレンジ色の縞模様だった。
彼女はそんないでたちで、指をしゃぶっている女の子を抱っこして来た。

彼女はKさんという。当時私の居た楽団に、新しく入ってきた子だった。
彼女を初めて見た時、私は心の中で『なんじゃこりゃ』と呟いた。吹奏楽をやる人は、概して地味で真面目なタイプが多い。勿論例外はあるし、派手な人もいるには居るが、彼女みたいなのはお目にかかったことがなかった。
なんでこんな子が、吹奏楽をやる気になったんだろう。
物凄く不思議だった。いや、不思議を通り越して不可解だった。

楽器は高価でなかなか買えないから、と言って、彼女は某楽器メーカーのレンタルシステムを利用していた。一定期間レンタル料を支払って使用し、期間満了時にその楽器を買おうと思うなら、定価と今まで払ったレンタル料の合計の差額を支払えば、自分のものに出来る。趣味として始めたいけれど、長続きするかどうか自信がない、という人が良く利用するやり方だ。
初心者は楽器なら何でもいいや、買ってしまおう、と安物に飛びついてしまいがちだが、案外慎重なんだな、と私は意外に思って彼女の話を聞いていた。
と言っても、私は彼女の外見に拒絶反応を起こしていたので、他の人と喋っているのを小耳にはさんだ程度だった。

ある日、ウチに電話がかかってきた。
「はい、在間です」
電話口の向こうが誰か、初めはわからなかった。聞こえてくるのはシクシクと泣く声と、時折すすり上げる鼻水の音だけである。
「えっと、どちら様でしょうか・・・?」
おそるおそる訊くと、やっと小さな声が
「○○楽団の・・・Kです」
と絞り出すように言った。意外過ぎて、驚きしか感じなかった。
「どうしたん?なんかあったん?」
取り敢えず、そう訊くしかなかった。
「・・・話・・・聞いて欲しいんです・・・」
なんの話だろう。楽団で誰かと揉めたのかな。見当もつかなかった。
取り敢えず、彼女の子供が通っているスイミングスクールに近い我が家に、子供が泳いでいる間、来てもらうことになった。

彼女は手土産のお菓子を手に、おずおずと照れ臭そうにやってきた。
最初は子育てや音楽の話題をするともなしにしていたが、
「あのね、私ね、在間さんから見たら、きっと信じられへんような人間やと思うんです。でも、在間さんに私の今の気持ち、聞いて欲しいと思ったんです」
と彼女がおもむろに切り出した。思っていたことを正確につかれて、ドキリとした。
「私でわかる話なんかな?」
なんせ、歳も随分下である。おまけに私は三十を過ぎての一度きりの出産で、彼女はヤンママそのものだ。本当にわかってあげられる話なんだろうか。正直不安だった。
「はい、きっとわかってもらえると思います」
何故か彼女は確信したように言った。

彼女には小さな子供が三人いた。子育ての大変さに疲れ切っていた時、たまたま高校生の演奏を聴く機会があった。私もあんな風にやってみたい。そう思って初心者OKのウチの楽団に来た。
でも、現実は甘くなかった。合奏に来る時子供を預けている親戚には
「こんな大変な子供押し付けて、自分は遊んで、母親失格や」
と言われた。
合奏に入っても、なかなか上手くなれない。一人で時間を少しずつ作っては練習をしてみるが、すぐに子供に中断される。
子供は可愛い。でもなんにも息抜きが出来ない。しんどくてたまらない。夫は非協力的だ。
そんな話をした後、彼女はこういった。
「私、また病みそうなんです」
また、ということは。
私は本当に意外な思いで、泣いている彼女を見た。

彼女が七歳の時に両親が離婚。彼女は遅くまで働く母親の代わりに、五歳と二歳の弟妹の世話をした。風呂に入れ、寝かしつけ、皿を洗って母を待つ。遅くに帰宅した母親は、散々元夫の悪口を彼女に聞かせながら、倒れるように眠り込んでしまう日々だった。お母さん、私達を育てる為に大変なんだな、と思っていた。
彼女が中学生になったある日、母親が再婚すると言い出した。相手はなんと、彼女の父親、つまり元夫だった。弟妹は喜んだが、彼女は複雑だった。でも喜ぶ家族を目にすると、何も言えなかった。

高校を出ると逃げるように、家から遠く離れた会社に就職した。しかし、理不尽な上司からパワハラにあい、心を病んで退職。已む無く実家に戻り家業の手伝いをしていた。
高校の同級生と十代で結婚。兎に角家を出たかった。間もなく出産。そこからは休みなく家事と育児に追われてはいたが、幸せな日々だと感じていた。
だけどここにきて、また辛くなってしまった。
母親の声を聞いているうちに心地よくなってしまったのか、眠ってしまった子供を抱きながら、彼女はそんなことを話してくれた。

私などには想像もつかない、大変な状況を生きてきた彼女に尊敬の念すら覚えた。
「めっちゃ頑張ってきたんやなあ。辛かったなあ。でも立派にええお母さんしてるやん。凄い凄い!」
私が掛け値なしにそう言うと、彼女は大粒の涙をこぼした。
「誰かに・・・そう言って欲しかったんです」
嗚咽を上げながら途切れ途切れに話す姿は、そこらに居る普通の女の子だった。
つられて泣きそうになった。

彼女は暫くして吹奏楽をやめてしまった。
暫くは連絡を取っていたが、ある時を境に連絡がつかなくなった。風の噂で離婚して、隣の県に子供を連れて引っ越した、と聞いた。
今頃どうしているんだろう。
気になって仕方がない。