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人生を楽しむ達人

夫のおばは姑より4つも年上だが、姑よりはるかに若々しい。
未だに現役でお茶やお花の先生をしている。齢90近いが自分より若い生徒のほうが杖をついてやってくるのに、自分は杖なしでシャンシャン歩いている。いや、それどころか町内運動会でリレーの選手として走っている。奇跡のような人である。

いつ会っても、弾けるような笑顔と人懐っこいお喋りに、魅了されてしまう。

耳が全く遠くないので、私達とも普通に会話出来る。姑は補聴器を使用しなければ会話出来ないというのに、驚く。
日舞も本格的に嗜む。絵も描く。
達筆で師範の免状があり、請われれば教える。
俳句も読む。有名俳人に師事し、時に句会の為東京や大阪にも単身でかけていく。

かと思えば、自宅の広い畑で様々な野菜を栽培し、漬物等を作って地元の産直市場で販売している。一度わけて頂いたが、とても美味しかった。

こう書くと、なんの苦労もない、幸福で元気なご老人を想像するだろう。
この人が遠い昔、腸の千切れるような辛い思いを味わった人だなんて、想像できる人は少ないと思う。

夫がまだ中学生だった頃、このおばの長男は不慮の事故で帰らぬ人となった。本人には全く責任はなく、全面的に加害者が悪い事例であった。
通夜の日、長男の友人でもあった加害者の両親が、地面に頭を何度も擦り付けて号泣しながらおば夫婦に謝罪するのを、当時中学生だった夫は辛い思いで見ていたそうである。(この時の印象が強烈だったせいか、夫は常に慎重な運転をする人である。)
長男は20代半ばの若さだった。
私も遺影を見た事がある。おばの家の仏壇の、軍服姿で緊張した面持ちの遺影ばかりの中で、彼の若い遺影の笑顔だけがやわらかかった。

このおばは、気遣いの人でもある。先日伺った時も、あまり近所に馴染みのない私が話の輪から浮かないように、巧みに話題を選んでくれる。
その気遣いもさることながら、頭の回転の速さに舌を巻く思いだった。

おばは言う。

確かに長男が生きていてくれたらなあ、とあれから何度も思った。いや、毎日思わない日はない。
だが、長男はもう帰ってこない。だったらくよくよするだけ、自分の人生を損している。折角この世に生を受けたのだから、十分楽しみたい。まだまだやりたい事はいっぱいある。早くお迎えが来て欲しい、なんてこれっぽっちも思わない。
いつだって今日が一番若い日なのだから、身体が動く限り色々やってみたい。愚痴なんて言ってる時間が惜しい。

素晴らしい、凄いと思って聞いていた。

後日、おばが句集を出したと言って一冊送ってくれた。読んでいると中に一句だけ、長男を偲ぶおばの心情が垣間見える句があった。
『彼岸に墓に行ったら、まだ温かいたい焼きが供えてあった』というだけの内容の句だったが、長男の友人が参ってくれたのだな、とわかる句だった。
おばがどんな気持ちでそのたい焼きを見たのか、と思うと一人の子供の母である私もグッと来た。

おばは今も元気で、あちこち飛び回っている。時折元気な声で電話をくれる。何も言わないが、親戚から遠く離れている私達を気遣っての事のようだ。

おばが天国の息子の所に行くのは、きっと随分先の話になるだろう。
息子はあの柔らかい笑顔を浮かべてたい焼きを食べながら、母親をのんびりと待っているのかも知れない。