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懐かしのバニラアイス

バニラアイスを見ると思い出す人がいる。

私が子供の頃、母は地元のママさんバレーチームに所属していた。身体が柔らかく、カンがいいというかスポーツ全般が得意だった母は、全く経験がなかったにもかかわらず楽しんでいた。

他のメンバーも皆地元の人ばかりで、年齢も大体同じくらいだった。子供も皆同じ小学校である。練習は大抵夜だったので、よく妹と二人連れて行かれた。練習場所は大抵近所の小学校や中学校の体育館だったから、同じように連れて来られていた子供達とかくれんぼや鬼ごっこなどして遊んでいた。

既婚者である事が加入の条件だったようだ。子供のいない人も何人かいた。その中に、他のメンバーよりもかなり年嵩の、派手な人がいた。Bさんといった。地元ではなかなかお目にかからない変わった名字で、直ぐに覚えてしまった。

Bさんは声がガサガサだった。そんな声の女の人には当時は会ったことがなく、強く印象に残った。
他のメンバーが殆どスッピンであるのに、Bさんは派手な化粧をしていつも強い香水の匂いをさせていた。爪はいつも長くのばして真っ赤なマニキュアを塗っていた。
私は化粧や香水に憧れる年頃だったが、Bさんのそれらは明らかに派手で、ちょっとひいてしまうような外見だった。

私がBさんをよく覚えているのは、見た目だけが理由ではない。とても気前が良かったのである。
夏休み、暑い中練習が終わるのを待っていた私達子供に、
「あんたらお利口さんやったなあ。暑いやろ。これ食べ」
と言って、沢山のバニラアイスクリームを入れたクーラーボックスをどんっと出してくれるのである。夜遅い時間にアイスを食べるなんて怒られないかな、と恐る恐る手を出すと、
「遠慮しなや(しないでね、の意)」
と手にアイスをのせてくれる。ちゃんと平べったい木のスプーンもつけてくれる。
汗をタラタラかきながら、他の子供達と輪になって座り食べるのは嬉しく、楽しかった。親達もこの時ばかりは大目に見てくれて、スポーツドリンクなどを飲みつつ喋りながら、私達がアイスを食べるのを見ていた。
たまにならわかるが、夏は殆どいつもだった。他にもジュースを振る舞ってくれたり、お菓子をくれたり、いつも何かくれた。あんまりくれるので、母達が相談してお返しをしようとしたところ、
「子供が好きで、私が勝手にしてるこっちゃさかい、気にせんでええ」
と笑って断られたと聞いた。

私の妹は屈託がなく可愛い顔をしていたので、何処へ行ってもいつでも大人達に可愛がられた。私は"付け足し"の子供か、或いは妹の"保護者代わり"のように感じた事も多かった。
だがBさんにはそれを感じなかった。私も妹と同じように『子供』として扱ってくれた。こんな大人は当時Bさんの他に記憶にない。
だから私はBさんが大好きだった。他の子供達にも勿論Bさんは大人気だった。

今から思えば、Bさんはきっと元々ホステスさんだったのではないかと思う。派手な化粧やマニキュアも、ガラガラ声も、よくふかしていた煙草も、それを裏づけているように思う。旦那さんは"流し"の歌手だと聞いた。どこかのバーかスナックで出会って結婚したのかも知れない。
私が以前住んだ北陸の駅前には、Bさんの名字と同じ名前の弁当屋があった。その辺りのご出身だったのかも知れない。弁当屋の看板を見た時は、Bさんを思い出し懐かしかった。

親達はきっとあまり子供に近付けたくない人だったに違いない。だが子供はよく知っている。変な魂胆や圧力なしに平等に接してくれる大人を、すぐに本能的に見抜く。
Bさんが私達子供に大人気だったのも頷ける。

今はアイスクリームの種類も色々あって迷うくらいだが、当時はそんなになかった。これだったら子供達が喜ぶ、と思ってくれたのだろう。
まるいバニラアイスの紙のカップを見ると、手にのせてくれたBさんと、木のスプーンの舌ざわりを懐かしく思い出す。
もう随分おばあさんの筈だ。お元気にしておられると良いなと思う。






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