見出し画像

部下を育てる方法

今日は平日なので、朝の客足は少なめである。いつものように掃除を終えて何人かのお客様を捌いた頃、可愛い若い女性と母親らしき二人連れが私の居るレジにやって来た。
ニッコリ笑って開口一番、
「Tax free OK?」
と聞かれて、来た!と思った。免税対応が必要なお客様である。手元にはえんじ色のパスポート。中国の方だ。

今日は新任課長のKさんが朝から出勤している。一人では心細いので、インカムを入れた。
「免税対応のお客様、靴服飾レジに来られています。応援お願いします」
・・・応答がない。ウソでしょう?忙しいのかな?でも来て欲しい。
「再度インカム失礼します。一階靴服飾レジ、在間です。免税対応のお客様来られています。応援お願いします」
・・・あれ?Kさんインカム聴こえていない?
「何度も失礼します。一階靴服飾レジ在間です。免税対応一緒にして下さい。応援お願いします」
これで誰も来なかったら、マニュアルと首っ引きで自分でやるしかない。無理そうなら、前任のH課長に電話を繋いで架けながらやるか?そこまで腹をくくりかけた時、
「ほいっ、行きます」
と神の声がインカムに入ってきた。でも名乗らない。誰だろう?

程なくレジに来てくれたのはグロサリー(加工食品)担当のO主任だった。
実は私達の売り場は、食品担当の人とあまり話す機会がない。インカムでやり取りを聞くことはあっても、話をするのは私も初めてである。
O主任はレジに入ると、慣れた様子でお客様に向かって片手を広げて見せ、
「ふぁいぶさうざんどいえん、おーけー?」
と大きな声で尋ねた。免税は五千円以上五十万円までだから、あんまり少額の買い物だと対象外になる。スーパーだと案外五千円以下に収まってしまうお買い物額でレジに来られることもあるらしい。お客様はオーケー、オーケー、と頷いて値札を見せる。六千円を超えている。大丈夫だ。
助けに来て頂いて失礼なことだが、これ以上ないくらいの超日本的発音だった。きっと今時の小学生の方が上手に違いない。通じて良かった。

私はマニュアルを確認しながら慣れない器械を操作する。パスポートをスキャンするのに苦労していると、横からO主任が
「今日Kさん出勤でしょ?シフト変わったの?在間さん一人?」
と不思議そうに聞いてくる。
「いらっしゃる筈なんですが、さっきから全く応答がなくて・・・」
私が申し訳なさそうに言い終わるより早く、O主任はインカムの通話ボタンを押した。
「Kさん!レジに免税来てますよ!いるんでしょう!来てください!」
やや怒気をふくんだ声で言うと
「はい、今行きます」
とKさんのおとなしい返事があった。おい、聴こえとったんかい。

Kさんはキャリーケースの陳列棚の後ろに隠れていた?ようだった。レジとは目と鼻の先である。O主任のインカムで、すごすご出てくる羽目になった。その姿を見て、昔実家で飼っていた犬を思い出した。
ウチの実家の犬はシャンプーが嫌いで、されるとわかると犬小屋に身をひそめて出てこようとしなかった。父が引きずり出して、漸く観念して風呂場に連れていかれていた。
今のKさんと被る。

「あれ?書類書かないの?」
Kさんの言葉を聞いて、O主任と二人ビックリしてしまった。免税手続きはとうの昔に全て電子化されている。書類が必要だったのは随分昔の話である。こりゃだめだ。
そうこうするうちに、他のお客様がレジに並び始めた。でもKさんはレジが打てない。誰か呼ぶくらいしてくれ、と思うがそれもしない。O主任、またイライラと通話ボタンを押す。
「一階靴服飾レジ、応援お願いします。現在免税対応中です。どなたかお願いします!」
これには三階の住居関連用品担当のTさんが
「はい!今行きます!」
と返事をして駆けつけてくれ、すぐに隣のレジに入ってくれた。ウチのふがいない課長がご迷惑をおかけして、どうもすいません。
私とO主任は、気を取り直して再び免税に取り掛かる。
「在間さん、この数字入れたか?」
「はいっ、大丈夫です」
「で、これは?」
「ご確認頂きました!」
「ヨシッ、確定、送信して!」
「はいっ!」
O主任と二人、器械の画面を見つめる。Kさんは両手を束ねて傍で見ているだけである。間もなく『手続き完了しました』の文字が出た。
「よっしゃ、よく頑張った!後はパスポートの返却とレシートのお渡し忘れないように」
O主任は私にそう言うと、親指を立ててニヤッと笑った。お客様を無事にお見送りして、私は心底ホッとした。
「本当にありがとうございました!」
O主任とTさんに深々と頭を下げた。
「大変だったね」
Tさんが労わってくれる。こちらこそ、三階からわざわざ来て頂いてすいません。
「もう一人でもバッチリだな」
O主任がそう言って豪快に笑う。いや、一人は怖い。でも器械の扱いは随分分かった。今度はもうそんなに慌てないと思う。ちょっと自信もついた。

今回得た教訓は以下の二つである。
・十回の座学より一回の実践
・頼りない上司だと部下は育つ
以上。