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不文律

明日から京都の姑宅の掃除をすることになっている。
何か気になっていることがあれば聞いておこうと思い、姑宅をしょっちゅう訪れている姉に電話を入れた。使用する布団を干しておくことや、仏壇の掃除の注意点等をはいはいと聞いて電話を切ると、夫が難しい顔をしてムッツリと黙り込んでいる。
「どうしたん?」
と訊くと、
「なんでウチが姉貴に『指示』されなあかんねん。おかしいやろが」
とふてくされた様子で言う。その割にはコタツに潜り込んで『寒い寒い』と連発するだけだ。
ちょっと苦笑いする。

姉は養子取りではなく、他家に嫁いでいる。昨日今日の話ではない。だから舅姑の世話は本来なら長男であるウチがやるのが筋だ。
だが結婚以来、いつもすぐ近くにいるわけではない。駆けつけるには気の遠くなるような時間がかかる。年寄りの急にはとても間に合わない。
姉は自転車で五分の距離に住んでいるから、舅姑も気易く色々頼む。若かった頃は姉もホイホイと応じてくれていて、私が都度詫びると、
「ミツルさん、遠いやん。私の両親やし、私がみるのは当たり前やよ」
と心強い返事をくれていた。
しかし年月が立ち、姉も年齢を重ねると、そう繁々と両親のあれこれにつきあうのは大変になってきた。もう六十を超えているが、更年期の症状が未だにかなり酷い。
今までのように『いいよ』とは言ってくれなくなった。
当たり前のことである。今までが頼り過ぎていたのだ。
しかし永年姉中心に諸々が回ってきているので、どうしても姉の都合を聞きながら作業することが増えてしまう。これが夫の気に入らない。
私から見ればなんでやねん、と思う。

夫と姉の間には以前から確執がある。
夫の実家の人間は全員に
『自分が絶対に正しいから自分の言う通りにしろ』
という不文律がある。舅も姑も表し方は違うが、同じものを感じる。そして全員、強烈に頑固である。
この『自分が絶対に正しい』が家族間で折り合うことはない。だから事ある度にややこしい事態が繰り返される。
以前は姑と姉の間のこれが凄かったのだが、最近は舅と姑が弱ってきたので、対立する人は姉弟になっているように思う。

他人の私から見ると、何をそんなに意固地になっているのかと思う。
絶対正義なんて、どこにもありはしない。そうやって意地を張るだけ無用な軋轢を生むし、自分だって疲れてしまう。
それより相手の言う事にちょっと耳を傾けて、
『ああ、こういう経緯でこう考えているのか、なるほど』
と一旦受け止めれば良い。受け止めるだけで譲歩ではないから、自分の主張を乱されることもないだろう。
この一家はこれがとても下手である。『聞いたら終わりだ』と言わんばかりに相手の発言を阻止しようとする。
本人達は至って真剣だが、傍目にはちょっと滑稽ですらある。

むくれている夫に言う。
「あんなあ、お姉さんかって身体しんどいんやで。更年期の身体は男のアンタにはわからんやろ?今までずっと色々してもうてるがな。ウチが何を言えたことあるねん?『指示』やと思うから腹立つねん。『教えてくれてる』と思えばええやろ。協力してお父さんとお母さんが少しでも心地よく過ごせるようにするんが私らの務めやろ?腹立てるとこと違う」
黙って聞いている夫ではない。自分の『負け』になるからだ。
「言い方ってもんがあるやろ!こっちは遠いとこから行くのに!」
ああ、論点が完全にずれてきた。諭すように言う。
「今やってる全てのことは、お父さんとお母さんの為のものでしょ?そこ考えたら腹立てることなんか、何にもないよ。むしろお姉さんに感謝湧かない?言い方に問題があっても、それは受け取る方の問題やと思うよ」
ここで夫は完全に黙り込んでしまった。納得はしていないが、言い返せないらしい。お得意の正論はどこへやら。

腹を立てる前に冷静に物事を見つめることが出来るようになるのは、我が夫にはちょっと難しいことのようである。
私の身体を心配してくれてるんだろうけど、もう少し表現の仕方があるような気がするが。
まあ、良しとするか。