私が心地いいかどうか
昼から新宿に行くのに、さて何を着て出掛けようか、迷った。ちょっとくらいお出掛け用の服装にしたい気持ちもある。しかし暑い。Tシャツ一枚で気楽に過ごしたい気持ちもある。
私が心地いいのはどっちだろう。
お出掛け用の服装は、今回のお出掛けの目的(楽器のメンテナンス)とは関係が薄い気がする。荷物も多い。今回はTシャツの方が嬉しい。
と言うことで、Tシャツにする。
電車に乗る。昼下がりの時間だから、余裕で座れた。勿論、日陰になる方を選んで座る。暑いのは立つより嫌だ。
座って本を読もうとするが、睡魔が襲ってくる。潔く寝た方がよさそうだ。本を早々に閉じて、新宿までぐっすり眠った。凄くスッキリした。
メンテナンスの仕上がりまで、二時間近く待たねばならない。近所に有名なチェーン店はいくつかあるが、人がいっぱいだ。こんな所ではなく、ゆっくり静かな所で本でも読みながら待っていたい。諦めずに探すと、小さな珈琲店があった。覗くとけっこう空いている。ドアを開けると懐かしい「カランカラン」という鐘の音がして、思わず一人微笑んでしまった。
ここに入って良かった。
紅茶の種類が多い。アイスかホットかの選択、ダージリン、オレンジペコ、など葉の種類の選択、ミルクティー、ソーダ割!なんてのもある。
私が今飲みたいのはどれだろう。
暑いし、スッキリ爽やかな感じのが良い。アイス、オレンジ入り!に決定。
ケーキはほろにがオペラか、濃厚チーズケーキかで迷う。飲み物がオレンジ入りティーならチーズケーキが食べたい。
ケーキと紅茶を注文して、涼しい静かな席でゆっくり本を読む。
どっちも美味しくて、大満足する。
やがてメンテナンス終了。いつも担当していてくれた方が退職された為、今回は誰が担当してくれるんだろうと思っていたら、「お待たせしましたー」と出てきてくれたのは超有名プレーヤーの専属リペアマン!だった。『プロフェッショナル』に出演しても良いくらいの人だ。ラッキーとしか言いようがない。
楽器は物凄く満足できる状態で戻ってきた。
「これからもガンガン吹いちゃって下さいねー」
と言われて苦笑いする。
店を後にした時、周囲は既に夕闇が迫っていた。もうこの時間でこんなに薄暗くなるんだな、と季節の移ろいを感じつつ、ラッシュの新宿駅に顰蹙されそうなデカい荷物を持って向かう。
降りる時便利な車両に乗るか、ちょっとでも空いている車両にするか。私は後者だ。一時間も乗らないが、少しでも快適な時間の方が良い。
つり革を持つか、バーを持つか。背が低いので、バーの方が楽だ。幸い可能なくらいの混み具合だ。
ほどなく電車は少し遅れて、最寄りの駅に到着した。
橋上改札か、地下改札か、どっちを通ろう?涼しいのは地下かな。そっちにする。
出発する時の服装選びから始まって、どの改札を通って出るかまで、本日の私の決定の判断基準も『どうするのが私が心地いいか』だった。
「こんな服着て行ったらおかしいかな、周囲から浮いてしまうかな」とか、「このままでは家に帰るのが少し遅くなってしまう。夫が帰っているというのに。ちょっとでも早く帰れる車両に乗らなきゃ」とかは考えていない。
この判断基準を曖昧に疎かにしていると、知らず知らずのうちに自分に負荷がかかってしまう。「自分が心地いいかどうか」を頭に置いて、「ねえ、この選択でどう?心地いい?」と聞きながら自分とやりとりする時間を設けることを、常に意識するようにしている。
これを「意識すること」はとても大事で、「自分を大切に扱うこと」に繋がっていると思う。流れ作業のように、ルーティンでいつもやっているから、いつも私はこうだから、と「考えずに」「自問せずに」ことを進めてしまうのは自分の声を無視していることになる。本当の自分の声を無視し続けると、自分がダウンしてしまう。
とても危険で、自分にとって良くないことだ。自分が泣いている。自分の為にも、家族の為にも、そんなことにならないようにしなければならない。
くだらない、そんなことか、と言われると思う。が、ここまで自分の行動を小さく小さくみじん切りにして、一つ一つを「自分にとって快かどうか」で決めていく。そうすると結果はどうあれ、私は自分のとった行動に満足する。ストレスがたまらない。結果私が穏やかになり、周囲も穏やかになる。
判断基準は常に私が心地いいかどうか。これだけである。