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一枚の割引チケット

私の職場では、何か月かに一度、各売り場の従業員一人につき一枚の割引チケットが配られることになっている。割引率は五パーセントで除外品もあるが、食料品などにも使えるので物入りな時期には結構助かる。使用できるのは期間中の一日限りだが、いつも有難く使わせてもらっている。
十二月に引き続き、一月にもこのチケットが配られた。いつ使わせてもらおうかな、と楽しみに眺めているうちに、もう一月も終わりそうである。ついこの前正月だったのに、早いものだ。
「一月は『いぬ』」なんて、昔の人は上手いことを言ったもんだと思う。

この割引チケットは、いつも売り場の鍵のかかる引き出しに入っている。夜の間に副店長が入れておいてくれるのだ。持ち出した人はチケットの入っている袋に自分の印鑑を押すようになっている。
この引き出しを朝一番で開けるのは私の役目である。先日開けて中を確認すると、このチケットが一枚残っていた。
誰か貰っていない人がいるのかな、と思い、上に押された印鑑を確認するが、全員貰っているようである。でも余分に渡されることは絶対にないから、誰かが貰っていないのだ。
誰だろう。考えたが分からなかった。

十時になって、出勤してきたDさんに訊くと、
「あ、多分Aさんのだよ」
というので、なるほどと疑問が解けた。
Aさんは普段は三階の子供靴売り場にいるが、本来はここ一階の靴担当であるから、こういったものは一階に配布される。たまたま担当した子供靴部門が三階に売り場があるというだけなのだ。面倒だが、いつも取りに来てもらうことになる。
Aさんの出勤は早くて十一時。遅いと閉め当番(閉店時に鍵を閉める役目)だから出勤は午後二時。早朝番の私とはほぼ顔を合わせることがない。
「じゃあお渡しいただけますか?」
私がチケットを取り出して机に置くと、Dさんは手を延ばそうともせず、
「うーん。どうしようか。別にいいんだけどさ、渡しても」
と何やら歯切れが悪い。
「なんかあるんですか?」
不思議に思って訊くと、
「ほら、気難しいでしょ。ちょっと怖いんだよね」
とDさんは小さな声で言って、そっと肩をすくめて苦笑いした。

確かにAさんは気難しい。誰彼と喧嘩した、という話をよく聞く。こだわりが強く、自分が正しいと思うと一歩も引かないところがある。許せない事をした人を厳しい口調で責め立てる。
理路整然としていて正しいことは正しいし、悪い人ではないんだけれど一緒にいると息が詰まる、とこぼす人は多い。
ウチの売り場は、どうも全員がそのようである。たまに用事でAさんが降りて来られていても、挨拶以外は皆言葉を交わそうとしない。Aさんもそれで結構、と思っている節がある。

しかし、このチケットは従業員の権利。そんなこと関係なかろう。
私はDさんに詰め寄った。
「別に悪いもん渡すんじゃないし、良いじゃないですか。なんの問題があるんですか?」
私の問いは至極当然のものと思われた。しかしDさんはまだ迷っている。
「前なんかさ、ギリギリになっちゃってね。渡したら『もう要らないわ』って目の前で捨てられたんだよね」
そうか、Dさんは一度強烈な塩対応をされた経験があるのか。
そう思うと気の毒ではある。お気持ちは分からないでもない。

「じゃ、私両替ついでに、今行って渡してきます」
私はDさんにレジ番を頼んで、事務所に行った。十一時過ぎ、早い方の出勤時間ならAさんは大抵この時間事務所で売り上げのチェックをしている、と聞いたからである。
事務所を覗くと、Aさんが肘を付いてパソコンの画面を眺めているのが見えた。ちょっと緊張する。ええい、私も塩対応されるかもやけど、これでチケットの行く末はハッキリするから良いではないか。行け!
自分で自分の背中を押すようにして、私はAさんに声をかけた。
「おはようございます。Aさん、これお伝えするのが遅くなってすいません。今お渡しして良いですか?」
Aさんはけだるそうに私に目をやると、
「ああ、これね。私あんまり買い物しないから、要らないんだ。バイトのS君、今回は配布対象外なんだけど、従業員だし彼にあげてくれない?」
と言ってパソコンに視線を戻した。
「わかりました。ありがとうございます」
私は緊張しながらもホッとして、チケットを手に売り場に戻った。

Aさんは癖の強い人だが、悪い人ではない。完璧主義が強すぎて、周囲がしんどいだけだ。ある意味Aさんは『ワガママ』なのだろう。
でも誰かを貶めようとか、虐めようなんて気はこの人には全くない。
妙に遠慮して関わらないでいよう、と思うより、普通に接すれば良いように思う。
そうわかっていても、怖いという気持ちはどうしても起こってしまう。
でも私はAさんの『人間性』を信じて、『従業員として当たり前の』お付き合いをしていきたいと思っている。
誰だって欠点はある。こういう職場は助け合いが出来ないと成り立たない。Aさんも周囲の人達も、お互いもう少し寛容になれる日が来ると良い。





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