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『お役所仕事』ではない仕事

吹奏楽団で運営の仕事に携わっていると、地域の役所やホールなどの公共施設の職員の方々と関わる機会が増える。演奏会や練習会場の場所取りは勿論、費用の援助を申請したり、演奏の依頼を受けたり、何かと足繫く通うことになる。

『お役所仕事』というと融通が利かず、木で鼻を括ったような有り難くない対応を想像するが、少なくとも私がお世話になった方々はそんなことはなかった。こちらの事情も十分に分かって下さり、柔軟で臨機応変な対応をして頂いたことは未だにとても有難く思って感謝している。

中でも一番お世話になったのは、練習拠点にしていた会館のTさんである。
ふんわりした笑顔と色白でまるっとしたお顔が印象的な、優しい方だった。
特にお世話になったのは、定期演奏会で企画関連全般の責任者を初めてやった時である。台本作成からゲストの駐車場の手配まで、ほぼ一人で駆けずり回っていた私に、
「お疲れ様です」
といつも優しく声をかけて下さり、イレギュラーなことが起こるとすぐに電話を入れて下さったり、機転を利かせて約束の時間より早く搬入口を開けて下さったりと、お仕事として任されている以上の事をして下さった。
ある年には、申請すれば市から文化事業に補助金が出ることも教えて下さったし、楽団が年末に自腹で開いていたコンサートを会館の自主公演にするよう、強く上司に推薦して下さった。おかげで楽団は年末のコンサートを全く自費負担なしで広いホールで毎年開催することができるようになった。
広告宣伝費も全て会館側に出していただくことになり、楽団の知名度も上がり、良い事づくめであった。

私にはもう一つ、秘かにTさんに感謝していることがある。
定期演奏会の実行委員長を務めていた際、役員内にちょっとしたいざこざが起こった時期があった。いわれのない批判を受けることもあり、私は精神的にかなりまいっていた。しかし殆どの楽団員はそんなことを知る由もない。演奏会を前に不協和音を自分から立てるわけにもいかず、たまるストレスでどうにかなりそうだった。
それでもどうにか無事に演奏会を終え、お礼を言うために会館の事務所を訪れると、Tさんが出てきてくれた。
「おかげさまで、無事終演することができました。ありがとうございました」
といって頭を下げた私の肩をTさんはそっと両手で抱き、
「本当に、お疲れ様でしたね。大変だったでしょう」
そういって、両手で私の手を包み込んでぎゅっと握って下さった。
危うく涙が出そうになった。
愚痴を言ったことなんてないし、何も話したことはなかった。だが、私の様子を見て何かを察して下さっていたのだな、と思うとただただ有難く、お心遣いが身に染みた。

もう一人印象的なのは市の文化振興事業担当のKさんである。
先述のTさんから聞いた、文化事業に対する市の補助金を受けるために書類を受け取りに行った際に応対して下さったのが彼女だった。
「こういう書き方が通りやすい。必要書類に書いていないけど、こういう資料は揃えた方が説得力があって審査を通りやすい。文章はこういうことを忘れずに書いて」
と事細かにアドバイスを下さり、提出後は審査の進捗状況をまめに電話連絡して下さった。
おかげさまで補助金を満額得ることができた時も、
「おめでとうございます!よかったですねえ!」
と電話口でとても喜んで下さった。
お仕事として当然のことをして下さったのだとは思うし、その恩恵に浴したのは私たちの楽団だけではないのだとも思うが、自分たちの活動をこういった形で支援しようと尽力して下さる方がいるということは、とても有難く嬉しかった。
Kさんのアドバイスが的確だった為、何度も書類を書き直す必要がなく、スムーズに申請出来たので、強く印象に残っている。

もう一人はHコミセンのSさん。
元々音楽には全く縁のない人だったのだが、偶然定期演奏会に来てくださってからすっかりウチの楽団のファン?になって下さったそうで、コミセンでお祭り等があるといつも
「HコミセンのSです~在間さん、今年もお願い出来ます~?」
と電話で出演の依頼をしてきてくださるようになった。
本番の時には狭いコミセン内で私達の控室を苦労して確保して下さったり、打楽器の搬入を手伝って下さったり、子供を連れてきた楽団員に出店のチケットを持ってきてくださったり、沢山の細やかな配慮をして下さった。
関東に転居する際にご挨拶のメールを出したら、
「自分も仕事でその土地にいたことがあります。住みやすい、良いところですよ。どうぞお元気で。音楽続けて下さいね。お近くに来られる時はコミセンにも寄って下さい」
という熱量多めのメッセージを下さった。
今も楽団はSさんのお世話になっているそうである。

Tさんも、Kさんも、Sさんも、みなさん「お役所」の方であるが、皆私たちの活動に理解を示し、心を寄せて下さり、応援して下さった。
『お役所仕事』も存在するところにはするのだろうが、少なくとも私はそういった方には殆どお目にかからなかった。
今でもこれらの方々のご好意を忘れることはない。
人の縁は有難いものだと思う。