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話をしようよ

今日姑を関西の施設に入居させ、帰ってきてこれを書いている。以前入っていたことのある施設だから、職員の皆さんは通りかかって姑を見ると
「あ!在間さん!おかえりなさい。またよろしくお願いしますね!」
と満面の笑顔で言って下さる。姑はこれ以上ないくらい上機嫌で、
「こちらこそ、お世話になります」
と『一応常識の備わったもののわかっている人』風にしゃなしゃなと挨拶しているが、皆さんにはキチンと前回からの情報の引き継ぎがされており、精神的に不安定なことも全て知られているから、虚しい努力である。
勿論、私は黙って見ているだけである。

舅も同じ施設に入居している。コロナの用心の為、面会人数と時間にまだまだ厳しい制限があり、私は入所の時以来会っていない。
職員の方に舅と話したい、と無理を承知でお願いしたところ、「居室はダメだがロビーなら」ということで、お忙しい所わざわざ連れてきて下さった。

舅は元気な頃からあまり喋らない人で、
「お母ちゃんがよう喋るさかい、ワシはその分黙っとくのや」
と言って、親族が集まった席でも滅多に発言することはなかった。酒もあまり嗜まず、飲んでも饒舌になることはなかった。
私は自分の父親も寡黙な人だったので、父親というのはこういうタイプが多いのだろう、くらいに考えていた。嫁としてはつかみどころがない、近寄りがたい雰囲気も感じていた。

この施設に入居する時も、不機嫌そうな悲しい諦めの表情をはっきり顔に出していたから、私はちょっと胸が塞ぐ思いだった。
八十過ぎまで元気に登山もし、野菜を育て、クラシックコンサートに出かけ、落語に興じ、講演会を傍聴するというでずっぱりの生活から一転して、ほぼ動きも刺激もない世界に引きこもらざるを得なくなってしまった舅の辛さは、察するに余りある。

補助具に寄りかかりながらも、舅は案外すんなりと歩いてやってきた。職員が一人ついて来てくれて、帰る時に声をかけて下さい、と言って離れた。
「久しぶりやな。今日は何しに来たんや?」
外界との接触が皆無に等しいから、姑が入居することを知らないのである。
「お母さん、今日から入居しはりますよ。お手伝いに来たんです」
そういうと舅は小さな目を大きく見開いて、
「そうやったんか。そらご苦労さんなこっちゃな」
と言って私を見た。
舅は永らくこういう言葉に実感を込められない人であったが、今日はしっかりと労りの気持ちが伝わってきた。

「何か困ってることとかありますか?」
と訊くと舅は遠い目をして、
「家の戸締まりも火の元も気にせんで良い。食事の心配もせんで良い。暑すぎもせず、寒すぎもない。熱出してもすぐ診て貰える。お母ちゃんの心配も今日なくなった。ワシは今、何も心配せんで良い。つまらんことや」
と呟いた。
心配しなくて良いことは幸せなことのはずなのに、何故か舅の言葉に「贅沢な」と感じることはなく、ただしみじみと
「そうかあ・・・心配したいかあ・・・」
と繰り返すことしか出来なかった。
生きている実感みたいなものが、今の舅にはないのかも知れないと思った。

それでも話をするうち、舅は段々饒舌になった。うちの息子が何故まだ卒業していないのか、といった話にもなり、一年間休学していたことも説明した。ふんふん、そうやったか、と舅は穏やかに聞いてくれた。
「卒業したら、絶対おじいちゃんに会いに行くって言うてました」
と息子の言葉をそのまま伝えると、
「それまでに会いたいもんやな」
と舅は悲しそうな顔をした。
これは何とかしなくては、と思った。

この施設はLINEでの面談を随時やってくれる。施設のタブレットを使って行う。自分で操作する必要はない。息子が帰って来る時に、一度声をかけてやってみよう、と思った。
僅か二十分ほど話しただけで、舅は見違えるようにイキイキしだした。
人間、やっぱり誰かと話をしないとダメなんじゃないか、と痛切に感じる。

帰る私に、結婚以来見たことがないくらい一生懸命手を振ってくれた舅の姿に、どこにいてもやっぱり家族なんだとあらためて思いつつ、大きく手を振り返して施設を後にした。