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夫婦考

今朝、スーパーへ行って買い物を済ませ、サッカー台で買ったものをバッグに詰めていたら、後ろのサッカー台から、
「さっさとしなさい!お前はいつものろいからダメだ!ほら、ちゃんとかばんを持ちなさい!早く!」
という男性の大きな怒った声が聞こえてきたので、今日は学校休みのところもあるのかな、なんて思いながら声のする方を見ると、いい歳の男性が奥様と思しきご婦人を怒鳴りつけていたので、大人だったのか、とびっくりした。
奥様は別に呆けていらっしゃる風でもない。目線を下にして、旦那様をよけるように肩をすくめ、黙々と買い物をかばんに詰め替えている。別にとろい動きには見えなかった。旦那さんはずっと怒鳴っている。もしかして旦那様の方がご病気かな、とも思ったが、その後二言三言会話されている様子を耳にした感じでは、別に異常な感じは受けなかった。
言っている方のご主人も、言われている方の奥様も、一体どういうご夫婦なのかな、とどうでもいいけど気になってしまった。


私がこのご夫婦に引っかかるものを感じたのには理由がある。前日にレジに入っていた時、やはり同じようなご夫婦を見かけたからだ。

奥様はご常連である。ご病気のため足に大きめの隆起があり、女性用のサイズの靴が履けない場合が多い。いつも声をかけて下さるので、本来ならお勧めしないのだが、男性用の靴でなるべく軽いものをお探しすることが常である。
それが今のシーズンは厚めの靴下を履く高齢の女性のために、25センチのブーツが少しだが出ている。早速お勧めすると、デザインも女性向けで可愛いし、素材も柔らかくて隆起に触れても痛くないし履きやすい、と同じものを二足、色違いでお求めになった。
ところが急に思いついて来店されたので、財布をお持ちではなかった。
その時、お客様が仰った言葉に、私は耳を疑ってしまった。
「うちはね、主人がお金を全部持ってるので、買い物する時はお金を必要なだけ、もらってからなの。お金を持ってきてほしいからさっきから電話してるんだけど、出ないのよ。ごめんなさいね。もう少し取っておいて頂いていい?」
まあ、そういう金銭管理の在り方もあるのだろう、と気を取り直して、取り置きは一週間可能である旨お伝えする。じゃあお願いするわ、と仰ったので取り置き用の伝票を取り出して書いていただこうとしたところに、ご主人が到着された。
奥様が買い物に行くことはご存じで、電話があるということはお金が必要だ、食品レジに並んでいなければいつも行く靴売り場だろう、と判断されたのだと思う。心配そうだった奥様の顔がパッと明るくなった。
ところがレジで私が精算を待っていたところ、ご主人は黙ったまま財布から荒々しく1万円札を抜き出し、叩きつけるようにトレーに置いた。奥様はしきりとご主人に謝っている。ご主人の眉間には縦皺が寄っていて、声をかけづらい雰囲気だった。
二足買っても1万円でおつりがくる商品である。それでも贅沢だとお感じになっているのだろうか、と思った。高い安いの感覚は人によるからなんとも言えないが。
お金を支払い終わると、ご主人は奥様を置いてさっさと立ち去ってしまった。奥様は足を引き摺りながら、商品を持って「いつもありがとう」と言って、にこやかに帰って行かれた。
何か後味が悪い感じがした。

どちらも奥様に同情し、ご主人を批判するのは簡単である。
事情は分からないが、一見奥様は気の毒に見えるし、旦那様は奥様を虐めているように見える。
誰かを責めている態度や言葉に接するのは嬉しくない。だからご主人に批判の目が向くのは人間として当然の感覚なのだと思う。
だが私だったら、夫がこんな風だったら、商品を夫に叩きつけてどこかに行くか、「あんまりとちゃう」とその場で猛烈に抗議するか、しばらく食事を作らないか、何か行動すると思う。いやこの二人の奥様だって、もしかしたら家では旦那様をハイヒールの踵で踏んづけているのかも知れないし、お茶に雑巾のしぼり汁を入れているのかも知れないが、何もしていないとしたら、ちょっと首をひねりたくなる。

旦那様は奥様に専制君主として君臨することで、自らの絶対的地位をゆるぎないものにしたと無意識の内に信じ、心に存在意義の拠り所を作ってまやかしの精神の安定を図っているつもりになっている。
奥様は奥様で、強圧的な夫に隷従することで自分の存在を自分で認めている。これも本人は無意識だから、始末が悪い。
要するに二組とも、共依存関係なのだと思う。

ほんの少しの会話を、通りすがりに聞いての私の勝手な判断だから、大いに誤解している可能性はある。が、通りすがりの無関係な他人ですら驚くような発言や態度は、普通はあまり取らないものだと思う。
不機嫌は害悪であり、れっきとした公害である。あまりそこら中にまき散らさないでもらいたい。それを黙って受け入れるのも、止めた方がいい。きっと心と身体に変調を来す。

夫婦は似た者同士とはよく言ったものだ、と思いながら今日も炬燵で爆睡している夫を眺めつつ、これを書いている。