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人と人

ついこの前の出来事である。
私は買い物帰りに駅の改札前の通りを歩いていた。普段から昼間でもかなり人通りの多いこの場所は、師走に入ったせいか、かなり混雑していた。
ふと気付くと、私の正面から一人の高校生と思しき制服姿の男性が歩いてきた。歩きながら手に持ったスマホを凝視している。当然周囲への目配りはなされていなかったから、私はぶつからないように脇へ避けた。彼はおばさんが道を譲ってくれたことなど全く気付かない風に、平然と歩いていく。ちょっと苦笑してしまった。

すると今度は彼の正面から、六十代くらいの一人のコート姿の男性が急ぎ足で歩いてきた。かなり早足だったので、あ、ぶつかる、とヒヤリとした。
高校生は相変わらずスマホから目を逸らさない。とうとうコートの男性と高校生が真向いになった。
その状態になってやっと、高校生は立ち止まった。コートの男性も立ち止まったが、彼は道を譲らない。その場に立ち止まったまま、憎々しげに高校生を凝視している。ちょっと嫌な雰囲気がその場に漂った。

しかしスマホに夢中の高校生の目には、コートの男性の怒りに満ちた表情など全く入っていない。彼はスマホを見たまま、道を譲られるのを待っている。コートの男性は高校生が目を上げて自分に道を譲るのを待っている。梃子でも動いてやるもんか、という強い意志が彼の全身から感じられた。
なんて対照的な二人なんだろう、とは思ったが、コートの男性が高校生の胸倉をつかんだりしないだろうか、と気が気ではなかった。
とその時、コートの男性が短く
「オイっ、どけっ!!」
と目を怒らせて言った。すると高校生はやっぱりスマホを見たまま、フイっと少し横に逸れた。なんだ、今までの壁は自分から退いてくれたけど、この壁はどうやらダメらしいな、そんな風に見えた。
男性は去っていく高校生を見てチッと舌打ちすると、憤懣やるかたない様子でまた早足で去っていった。

この時、私の胸にはなんだかスッキリしない感情が芽生えていた。
どうしてだろう。帰ってからもずっと考えていた。

あの高校生は、オッサンが道を開けてくれなかったことに対して、怒っている風には見えなかった。反対に自分がマナー違反していたのだ、申し訳なかったなんてことも絶対に思っていないだろう。もしかしたらあの出来事なんて、「そんなことあったっけ?」というレベルかも知れない。
人に対する感情の動き、というものがこんなに感じられない人を私は嘗てあまり見たことがない。
違和感の正体の一つはここにある。

こんな高校生に諄々と、
「君、スマホ見ながら歩くのは危ないよ。やめた方が良い」
なんて諭しても、多分馬の耳に念仏、という奴である。多分この子は何らかの形で痛い目にあうまでこのまんまだろう。
駅のホームで電車に引っ掛けられるか、踏み外して線路に落ちるか、お婆さんにぶつかって転倒させて大けがを負わせてしまうか、彼女に『スマホばっかり見てるあんたなんてキライ!』と振られてしまうか。
いずれにしてもこんな態度を取り続ければ、彼には何かしらよろしくないことが待っている。そんな事こちらは容易に想像できるが、彼は多分『自分だけはなんとかなる』と思っている。態度にそれが現れている。
この『自分だけはなんとかなる』という不遜な気持ちを表に出して恥じない人間が居るということが、二つ目の私の違和感の正体である。

もう一つはコートの男性に対してである。
もし百人がこの状況を見ていて感想を述べたなら、九十九人までが彼の反応は当たり前だと言うだろう。私だってそう思う。
だけど、「オイっ!どけっ!!」は適当な言葉なんだろうか。
少なくとも私にとっては不愉快な言葉だった。
感情に任せて物を言う彼の態度に、私はややウンザリしてしまったのである。
違和感の三つ目はこれだ。

自分が絶対に正しい。自分が正義だ。
そういう強い意志を持つことは良いことだが、あまりにも過ぎるとこういう態度は見苦しい。例えそれが世の中の大正解であったとしても、
「オレが正しいんだから、オレに従え!」
と上から怒鳴りつけるのは
「やなこった」
という態度を生みかねない。人と人が融和できないのだ。
怒るべき時は怒った方が良いんだろうけど、このやり方はなんか違う。

じゃあこの場合、どうすれば良かったと私は思っているんだろう。
人を人とも思わない人間と、自分が絶対に正しいんだと断じて譲らない人間。この二人が分かり合える時が来るようにはとても思えない。
それでも人として、出会っているんだけれど。
なんだか二人共凄く損をしているような、勿体ないような、悔しいような気がしている私は、変な人なんだろうか。