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強制的に休ませる

昨日、今日と全く楽器に触れていない。コロナ罹患以来だから、約三か月ぶりである。
昔は「一日休むとカンを取り戻すのに一週間かかる」なんていう脅し文句を信じて休みなく練習していたが、師匠のK先生から
「そんなの根拠のない迷信です。良いですか、一週間のうち必ず一日は吹かない日を作りなさい。強制的にです。でないと下手になります」
と言われてえーっとビックリし、それ以来休む日を決めている。

先生が「下手になる」と仰ったのにはちゃんと理由がある。楽器を吹くために身体に無理をさせるのには限界がある、と言う事だ。
クラリネットだと下の歯を唇で巻き込んで吹く為、どうしても長時間吹いていると下唇の内側が切れる。当然痛いのでこの部分を避けてマウスピースを咥えようとする。するとアンブシュア(口の形)が変わってしまい、それに伴って口の中の形も変わってしまう。するとそれまで通りの吹き方をしても、上手く鳴らせなくなったりする。そうなるとリードをいじってみたり、セッティングをあれこれ変えてなんとか元の吹奏感を取り戻そうとするが、大抵は良くない方向に行くことが多い。
結局「あんなに長時間吹いて唇を切らなければもっと上手く吹けていたのに」と言うことになりかねないのだ。
いつかは元に戻るだろうが、回り道した分練習時間を損する、と先生は言うのである。

日曜日は朝から六時間の強化練習日だった。再来週は定期演奏会だから当たり前のことなのだが、吹きっぱなしはやっぱりとても疲れた。
若いうちはコンクールの翌日でも平気で練習できたが、もう無理のきかない年齢になっていることをつくづく実感している。先日来の右腕の筋肉痛もまだ消えていないし、昨日は朝掃除機をかけていたら危うくぎっくり腰になりかけた。多分長時間舞台の椅子に座っていたのが良くなかったのだと思う。本当にぎっくり腰になってしまわないように、サポーターをつけて生活している。
プロ奏者は身体のメンテナンスも日々しっかり行っているから、ちょっと練習したくらいでは私みたいなことにはならない。実はプロの演奏者は、世間一般の『音楽を演る人間=軟弱』というイメージからは程遠い。K先生も登山、水泳、ジョギングをされる。どれも肺の機能と筋力を保つための運動である。ピアニストだって、どんなにたおやかに見える人でも腕の筋肉はびっくりするくらい逞しい。プロは身体が資本だから当然と言えば当然だが、素人がこういうところを真似せず練習だけ一生懸命しても無理がある、という事なのだろう。
それでも整形外科の中には「音楽家外来」なんてのがある病院もある。音楽家がここに駆け込むのは、多分素人が想像を絶するような厳しい練習をした結果だろうと思う。考えただけで気が遠くなりそうだ。

練習を休むと罪悪感と焦燥感と寂寥感が物凄い。笑えるくらいである。先に述べた先生の言葉を腹の底から理解しているつもりなのに、私の身体に染み付いた『これでもかと自分を鞭打つ癖』は楽器練習に関してはまだまだ健在のようだ。マゾヒストっぷりにも困ったものである。
ここ二日間、自分で「今日は休み!」と言い聞かせ、練習以外の楽しいことをするようにしている。ボケっとドラマを観る。食べてみたかったチョコレートを買ってくる。読みたい本を読む。音楽をゆっくり聴く。
悪くないとは感じる。でもやっぱり一抹の物足りなさがある。一日二日休んだところでどうってことはない、むしろ身体を痛めては何もできない、と言い聞かせても、心はおもちゃ売り場で駄々をこねる子供のようだ。
どうしようもなく吹きたい。殆ど病気である。

これも楽器練習に限らず、『自分を律する練習』として私に用意された機会なのだろう。これから先、段々身体は言う事を聞かなくなってくる。いつかは楽器だって吹けなくなる。今回のことは良い経験だと思って、これから先の楽器との付き合い方をゆっくり考えて行こうと思っている。ジタバタしても同じだし。
ああーでも吹きたいよう!







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