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Sさんからの差し入れ

今日は知り合いの出演する演奏会に行くことになっている。
差し入れを何にしようか、と考えながら、そう言えば自分は何を貰った時嬉しいと思ったんだったっけなあ、と振り返っていると、ある先輩から頂いた差し入れのことを思い出した。

先輩といっても高校や大学で一緒だったとか、同じ楽団に居たとかいう関係ではない。以前私の所属していた楽団に、エキストラとして参加して下さった方である。Sさんという。多分私より五つほど年上だと思うが、正確にはおいくつか知らない。
音楽高校、音楽大学を卒業して、現在はピアノの先生として生計を立てておられる。
クラリネットは音大で『副科』として勉強した、ということで、
「音大っていっても、クラリネットは大して勉強してないから勘弁してね~」
と笑っておられたが、音もテクニックも私から見れば雲の上の存在だった。

普通、エキストラで参加する人とはあまり親しくならない。
参加回数がどうしても少ないし、演奏会が終わればそこで終わる関係だから、大抵はお互いにあまり深く関わろうとしないものだと思う。
しかし私はSさんがあんまり上手いので、『この人から色々教えてもらおう』と前のめりになった。表現の仕方や演奏のテクニックなどに迷いを感じると、すかさず休憩時間にSさんに質問に行った。
そんな私の『がぶりより』を、Sさんは当初驚きの目で見ていたようだった。だが訊かれたことには丁寧に答えて下さった。

繁々と『Sさん詣で』をするうち、Sさんの方から
「これは、ここに気を付けてね」
とか、
「このフィンガリングはこっちの指を使った方がやり易いよ」
などと先にアドバイスを下さるようになった。
どうやらコイツはこの辺が分かっておらんな、ということを、私の質問の内容から悟って下さったようだった。
正に『痒いところに手が届く』ような感じで、タダで先生をしてもらってるような、得した気分になっていた。

「在間さん、これ、やめた方が良いよ」
ある時、私の譜面をじっと見ていたSさんにそう言われたことがあった。
私の譜面には当時、沢山の書き込みがしてあった。中高生の吹奏楽部員のように蛍光ペンこそ使ってはいなかったが、鉛筆で結構汚く書いていた。
それを言われたのである。
「本当に注意しなければならないことだけ、ちょこっと書く方が良いと思うよ。これだけ書き込むと分からなくなってしまうでしょ?」
私の書き込みは全て鉛筆ではあったが、指揮者が何か指摘する度にセコセコと書き込んでいたものだから、書いた上にまた書いて、汚いことになっていたのである。
私の『書き込み過ぎ』は、後に師事したK先生にも厳しく指摘されることになるのだが、初めて言ってくれたのはSさんだった。

あまり近しくない関係で、他人の欠点を指摘するのは勇気が要ると思う。
期間限定の関係なのに、ムッとされたり、ギクシャクしてしまったりするのはストレスになってしまう。
だがSさんの指摘は私に素直に響いた。言葉にはしないけれど、お互いの間に信頼関係が生じていたのだと思う。
『書き込む』意味について考えたことなどなく、ただ書き込めば書き込むほど練習熱心になっているような気がしていた私にとって、新鮮な気付きになり、とても有難かった。

Sさんと共演したのはそれっきりで、演奏会が終わると特にやり取りすることもなかった。吹奏楽祭などで顔を合わせると
「在間さーん!」
と遠くから手を振って下さることもあったが、駆け寄って喋るとかそんなこともなく、お互いに笑顔で会釈して終わりだった。

翌年の定期演奏会の時、楽屋の後片付けをしていると、
「在間さん!差し入れですよ!」
と同じパートのNちゃんが小さな袋を持ってきてくれた。
私は引っ越しばかりしていた所為で、どの土地にもあまり親しい吹奏楽友達がいない。だから差し入れなんて誰からも貰うことはない、と思い、最後のお見送りや差し入れの受け取りなどには出向かず、いつも早々と撤収の手伝いを始めることにしていたのである。
それにしても一体誰だろう?
受け取った袋を覗き込むと、小さなメモが入っていた。
『在間さんへ 
お疲れ様でした。また一緒に吹けると良いね! ○○楽団 S』
あまりに予想外のことでビックリしてしまったが、本当に嬉しかった。

Sさんの連絡先も何も知らなかったので、人づてに聞いたメールアドレスにお礼のメールを入れた。
お返事の最後には
『お互いいつまで出来るか分からないけど、また一緒に演奏しましょうね!』
という一文が添えてあった。

今もSさんはお元気で、仲間と演奏を楽しんでおられるようだ。
こっちに来る時も結局挨拶もせずじまいだけれど、またどこかでご一緒出来るような気がしている。