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ある親子連れ

最近は出勤時間が8時半でほぼ一定なので、通勤の道すがら出会うメンバーも大体同じ顔ぶれである。
ミニチュアダックスフントを連れたワンレングスのご婦人、警備員の格好をしてガシガシ歩いているお腹の出たおじさん、金髪のボブヘアの若い女の子はいつも同じあたりで出会う。お互いに「いつも会うな」と思っているのだと思うと、なんだかおかしい。

ウチの近所は分譲、賃貸ともにマンションやアパートが密集している。古いのやら新しいのやら様々である。
このうちの一つのマンションから、いつも私の出勤時間に出てくる一組の親子連れがいる。
お母さんはまだ30歳にはなっていないように見える。子供は二人で、一人はやっと首が座ったくらいの赤ちゃん。男女どちらかはいつも抱っこされているのでわからない。もう一人は3歳くらいの男の子である。いつもお母さんと手を繋いでいる。保育園にでも行くのだろうか、と思って見ているが、それにしては時間が少し遅いような気がする。お母さんが職場に連れて行く、とかだろうか。

いつも会うから気になるというのもあるが、それだけではない。
この男の子が道すがら、ずっと喋っているのである。聞くともなしに耳に入ってくる言葉が面白くて可愛い。
「ねえお母さん、真っ赤な葉っぱがいっぱい!」
「テントウムシみつけたよー!どこからきたのかなー」
「あ、飛行機!おーい!」
割合はっきり喋る子なので、よく聞こえる。お母さんはいつも小さな穏やかな声で相槌を打っている。
私が思わず笑うと、目ざとく見つけて
「あ、おばちゃん笑ってるよ」
という。お母さんは私を見て赤ちゃんを抱いたまま、恥ずかしそうに会釈してくれる。
お母さんに手を引かれるというより、自分がお母さんを引っ張るようにして先に歩いていくのだが、子供の常で気になるものがあると急停止する。するとお母さんは一緒に立ち止まって、
「どうしたの?」
と穏やかに問いかける。
「これなあに?」
と彼はペットボトルの蓋だったり、近くの工事で使われていた小さなネジくぎだったりをつまみ上げる。するとお母さんは、
「○○だね。ここに置いておいてあげようか」
とだけいつも静かに言う。すると男の子はいつも素直に
「うん」
と言って、元あったところに物を戻して歩き出す。

私だったら、
「これ!ゴミは触ったらダメ!汚い!」
と言うだろうし、実際言ってきた。孫にも言うだろう。このご時世でなくとも、地面に落ちているものを触るのはあまり気持ちいいものではない。まして子供はその手で鼻や目をこすり、口を触る。どう考えても嫌である。
でもこのお母さんは「拾っちゃダメ」とも「そんな汚いもの」とも言わない。「元の場所に置いておいてあげようか」とやんわり『提案』する。
子供のチョイスを全然否定しない。
頭ではわかっていても、こういう時にそれはなかなかできない。だって衛生上問題大有りじゃないか、と思ってしまうのが大半の親だろう。私もそちら側の人間である。
でもこのお母さんは違う。
僕が素敵だな、なんだろうと思って手に取ったものだけど、もしかしたらもう誰かの大事なものかも。じゃあ元通りに置いておこう。子供はそんな風に思うのだろう。
見事な切り返しだ。結果的に、男の子は素直で明るい元気なお子さんに育っているように見受けられる。

確かにゴミはバッチイ。拾っちゃいかん。手が汚れるし、色々不潔だ。自分の身を守るためにも、そういう認識は必要だろう。
その考え方を何にでも興味津々の子供に教えるのはとても難しい。手っ取り早いのは「怖いよ」「危ないよ」と子供の嫌がる言葉で「脅す」ことだろう。
敢えてそこに触れず、子供自身が自分で考えられるやり方で、自発的に触らないようにさせる。「お母さんが嫌がるから」ではなくて、僕が「触っちゃいけない」と思うのだ。この子は多分、段々簡単に落ちているものを触ろうとしなくなるだろう。自分のチョイスはバッチイ、汚い、お母さんに怒られるいけないこと、と思うことなく。バッチイかどうかは、年齢が上がればいずれわかってくることだ。
多分そこまで考えての言葉ではないのだろうが、二人目の育児も大変だろうに、このお母さん凄いと思う。自分もこういう声掛けを子供にしてやれていたらなあ、と羨ましくもなる。

朝から元気な男の子と、優しいお母さんと、小さな赤ちゃんの母子連れに出会えると、心が温まる。
私ももう孫の顔が見たいお年頃なのかも。