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みィつけた!

間違い探しクイズが好きである。
二つの絵を見比べて、『上の絵と下の絵には〇箇所違っているところがあります。探して下さい』というものだ。
何か雑誌の半端なページや、新聞(昔はとっていた)の日曜版などにこれを見つけると、それまでやっていたことを一旦中断してやり始めてしまう。
やりだすと夢中になる。
大体の場合、最後の一つが見つけられない。そのうち家事を片付けるタイムリミットが迫ってきたり、出かける時間になってしまったりで、『ああ、残念。あと一つだったのに』となってしまう。
私と同種の人も大勢?いるとみえて、間違い探しクイズばかり集めた雑誌もあるが、こんなに沢山すると飽きてしまう。時々、ちらっと出来ればそれでいいので、『マニア』ではない。

職場では、レジ業務が暇な時は商品整理と棚の清掃をする。
この時、商品の小さな汚れや傷みを見つけるのが大好きで、性に合っている。
ハンカチの縁の縫製のほつれや、スニーカーのつま先の小さな汚れ。パンプスや紳士靴の小傷。折り畳み傘の骨の少しの歪み・・・これらはお客様によってつけられることが多い。お客様ご自身も多分、付けたことに気付いていないくらいの小さなものであるが、商品としてはこのまま売る訳にはいかないので、見つけると売り場から下げる。
そして出来る範囲で修繕作業をする。
ほつれや小傷を修理するのは無理だが、汚れなら落とせる。専用のクリーナーで、やり過ぎないように注意しながら丁寧に少しずつ落とす。大抵は綺麗に取れる。
稀に入荷時からこういった傷や汚れがあるものもある。こういうものは品出しの時にわかる。皆普通に気を付けるのだけれども、何故か私は他の人達より発見率が高いらしい。YさんやMさんによく有難がられる。
どうも『何かないかな』と集中して見る癖があるようだ。
こういう時の『無になる』感じが大好きだからつい、そうなるのだろう。

推敲作業も好きである。
この時は字の間違いや言葉の間違いよりも、『ここは【に】が良いのか、【が】の方が言いたいことがよく伝わるか』といった、適切な助詞をどれにするか、の作業や、同じ表現が続かないように言い換える作業なんかに物凄くワクワクする。
多分多くの人がそうであるように、私も文章を書くのは喋るようなもので、書く時はそんなに深く考えていない。けれど、推敲作業は物凄く考える。この時の脳味噌がフル回転する感じが、気持ち良くて大好きだ。間違い探しクイズをしている時と同じ感じがする。
ざーっと書くだけ書いて、細かいところをああでもない、こうでもないとごちゃごちゃいじくる。
この作業に『文章を極めること』なんて、全く求めていない。『作業すること』そのものが楽しい。だから良いものにならなくても、作業に飽きれば『もうここらでエエわ』となる。
遊びみたいなものだ。ただ単に『好きだから好きなだけする、飽きればやめる』だけである。
『こだわり』には程遠い。

『重箱の隅をつつく』という言葉は、あまりいい意味では使われない。
けれど私はこの『隅をつつく』作業をするのが、どうやら好きなようだ。
なんで好きなのか、自分でもよくわからない。コセコセウジウジした人間なんじゃないの、と言われればそうなのかも知れない。
むりやり理由を探すとすれば、多分探している途中に閉塞感を感じることと、それが打開された時の開放感を味わうのがたまらなく気持ち良い、と感じるからかなあ、と思う。
閉塞感が気持ちいい、なんて変かも知れない。しかし一定の負荷を自分にかけ、それを何とかしようと足掻く作業は、自分への小さな期待を孕んでいるから心地いい。自分にワクワクする。
負荷を負荷だと思わないほど集中する時間は、私を『無の境地』に連れて行ってくれる最高に幸せな時間である。