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強度近視の老眼鏡

小学校四年生の時に初めて眼鏡をかけて以来、私の近視はどんどん進んでいる。現在は所謂「強度近視」という奴で、老眼が入りにくい。入らない事はないが、ほぼ近視用オンリーの眼鏡で事足りている。
最近一層右目が見づらくなり、今まで使っていた眼鏡がほぼ使い物にならなくなってきた。年齢的に緑内障や加齢黄斑変性症の可能性もあるのでは、と思ったので近所の眼科に行って検査してもらうことにした。

飛蚊症の有無を聞かれたが、殆どない。一時期酷かったが、いつの間にか収まってしまった。理由はよくわからない。
見えづらいというと、先生はあれこれ検査して下さった。瞳孔を開く目薬は検査の時に何度か点眼されたことがあり慣れているが、やっぱり苦手だ。点眼後は自転車も乗ってはいけません、と言われるが、怖すぎて乗る気にはとてもなれない。歩いていても横断歩道の白線が眩しすぎて目を細めねばならない。瞳孔の役割に、今更ながら感心させられる。

近視が強すぎると眼鏡も度数の強いものになってしまうのだが、ここに老眼が入ってくると非常に厄介である。
ばっちり1.0か1.5見えるように調整した眼鏡は、しんど過ぎてかけ続けることが出来ない。眼鏡のレンズの外から見える景色と、レンズの中の景色のギャップに酔いそうになる。階段などは怖くて歩けない。
運転免許の更新に必要な最低限の視力である0.6か7を保てる眼鏡を一つ作り、車の運転時にはそれを利用している。尤もこちらに来てから車を運転したのは一回きりで、運転用眼鏡は殆ど新品のままである。

仕事用の眼鏡は運転用よりもやや度数の緩いものであるが、視力両目とも1.5の夫などはちょっと覗き込んだだけで「うわっ」と言って目を押さえている。クラクラするそうだ。
よく見ると薄く渦を巻いている。これもかけ続けると目が非常に疲れる。
なので、これの一つ前に作った眼鏡を普段かけている。純粋に近視用のもので、もうボロボロだ。料理の際油が飛んだりする時があるので、どうなっても良い眼鏡として使用している。
ちょっと前まではこの眼鏡でも十分テレビなどは観ることが出来たのだが、これが最近殆ど役に立たない。最早物を見る為と言うより、伊達眼鏡に近い。

今パソコンに向かいながらかけているのは、自身初の「老眼鏡」である。これはウチの夫などがかけているものとは性質が違うそうで、「緩い近視用」のようなものなんだそうだ。
確かに近い所を見る分にはとても便利である。パソコン作業もしやすい。
一番助かるのは、クラリネットのリード(振動媒体)をマウスピースにセットする時である。
リードはマウスピースの裏にある平たい面に沿わせて装着する。この面はまあ見える。マウスピースの先端とリードの先端の距離の開き具合で吹奏感が異なるので、微調整は吹きながらリードを上げ下げして行う。ここら辺はミリ単位の話になってくるので、老眼がキツイ人は辛いと思う。永らく平気だった私も、最近はちょっと見づらくなってきたので、自宅で練習する時は老眼鏡のお世話になっている。

が、この老眼鏡はあくまでも「緩い近視用の眼鏡」なので、強度近視の私が楽譜を見る際には、全く役に立たない。本来だとリードを装着する時に老眼鏡をかけ、楽譜を見る時に近視用の眼鏡をかけなおすことになるが、そんな七面倒くさいことは演奏中にしていられない。結局近視用の眼鏡のみをかけて合奏に参加する。途中でリードの調整をする時は眼鏡を外して裸眼になる。
この眼鏡を外す仕草というのが、なんともババ臭くて嫌になる。同じ楽団でも同世代の何人かはこういう人がいて、「いやになるよねー」「年は取りたくないよー」などというやりとりがあちこちで聞かれることになる。若い子達は失笑しているが、「君たちもいずれこうなるんだよ」と言われて悲鳴を上げている。順送り、という奴である。

眼科医の見立てによると、私が見えづらくなった原因はどうもまた近視が進んだことと、網膜に小さな穴が開いているせいのようだ、ということだった。眼球がどんどん前にせり出して網膜を引っ張るので、穴が開くらしい。但し大したことはなく、定期的に検査していれば大丈夫、とのことだった。
緑内障や加齢黄斑変性症の所見もなかった。ホッと胸をなでおろした。
これからも眼鏡と上手に付き合いながら、色々楽しみたいと思う。