気楽な本家
友人達に比べると比較的結婚が遅い方だった私は、
「本家がうるさくて」
とか
「本家には逆らえへんからさあ」
と渋面を作る彼女たちを見てきたので、田舎の『本家』というのはさぞかし神経を使って相手せねばならない面倒くさいものなんだろうな、と想像していた。だから自分の結婚式の時、「あれが本家のKさんとその嫁さんのMさん」と姑から紹介された時は、どうぞ自堕落な嫁じゃと疎まれて虐められませんように、と心密かに祈ったものだった。
ウチの方は父方は自分のところが本家だったし、母方は分家だったが本家は至極物分かりの良い当主だったので、何も気遣いはしなくて良かったらしい。だから子供時代の私もそういったいざこざを耳にすることは皆無だった。
結婚して初めて『本家』に挨拶するという儀式があることを知り、それがいつになるのか、面接試験を受ける前のような気分でその日を待っていた。
それは結婚して半年ほど経った、墓参りの時にやってきた。
車の窓に大きな平屋の本家の屋根が見えてきて、いよいよだとドキドキしていると、畑から私達の車に手を振る人がいる。
「Mさん!」
夫は車を端に寄せて窓を開けて笑って挨拶した。
「こんにちわあ。畑行ってはったんですか?」
「そうやねん。あ、ミツルさん?こんにちは、Mですう。お久しぶり」
首の後ろに日よけのガードのついた帽子を外して、Mさんが挨拶してくれた。本家のお嫁さんだ。私は大慌てで頭を下げた。
「結婚式の時はありがとうございました」
「いやあ、良いお式やったねえ。遠いところからようこそ。家にKさんおるから」
「はーい、ありがとう。ほんなら先行かせてもらいますう」
夫は窓から手を振ってMさんを残したまま車を走らせた。暑いから乗せてあげたら良いのでは、と思ったが夫は知らん顔だ。私は一人、気を揉んだ。
「ええの?」
「なんで?」
「乗せたげた方が良かったんとちゃう?」
夫はハハハと笑うと、
「あの人に気ィ遣わんでもええ」
と言った。
そりゃあなたはいとこのお嫁さんで前から知ってる人だろうけど、私は違う。気を遣って当然ではないか。軽く不満を覚えたが、勝手知らないところなので全て夫の言うままにするしかない。
私はあきらめて、ちょっと不安に思いながら大人しく車に乗っていた。
私が緊張していたのは、数日前に姑から電話があったからである。
本家に墓参りに行くことについての分家の嫁の心構えらしきものについて、色々と指南されたのだ。
服は本来なら黒留袖、無理なら普通の喪服。お土産は必ず何円以上の物を持参すること。台所を手伝えるように、エプロンを持参するように等々だった。何も知らない私は言う通りに準備して、その日を緊張しつつ待っていた。が、当日の朝私の格好を見て夫が一言、
「喪服やめとけ」
と言うので面食らってしまった。
「だってお母さんが…」
と言いよどむと、
「Kちゃん(本家の当主で夫の従兄)、いつもジーパンにサンダル履きやで」
と言うので益々混乱してしまった。
「Mさん(従兄の嫁)も普通の格好しとる。オカンは本家の前でええカッコせんなんから、嫁のお前にきちんとさせたいだけやろ。そんな景気の悪いカッコしていくな。第一暑い。派手じゃなかったらええ」
耳を疑う発言だったが、緊張する上に何かと動きづらい恰好はしんどい。夫の肌感覚を信じて良いものかどうか迷ったが、結局大人しい感じの地味目のワンピースに着替えて行った。
結果夫の言う通りにして大正解だった。Kさんはやっぱりジーパンにサンダル履きで
「遠いとこお疲れさん。ようこそ」
と満面の人懐っこい笑みで迎えてくれた。
肩に入っていた力が全部抜けてしまった。
間もなく畑に行っていたMさんも帰ってきた。台所を手伝おうとエプロンを着けようとすると、
「えっ?ミツルさん、エプロンする派?私いつもせえへんねん」
と言う。
親族が集まる席に出すお料理は、Mさんの職場であるスーパーのお総菜売り場のオードブルと寿司。仕事は運ぶだけである。確かにエプロンなんか要らない。自分だけ張り切っているような感じで恥ずかしかったので、早々に外してしまった。
料理を運んでいくと、夫とKさんは共通の趣味である鉄道の話で大いに盛り上がっている。『本家』という緊張感は全く感じられず、まるで久しぶりに会った兄弟みたいである。
私が料理を運んで行くと夫が、
「な、喪服なんか要らんやろ?」
とニヤニヤした。
「おばちゃん(姑)、喪服で行けって言わはったん?!ミツルさん、災難やったなあ」
Kさんはのんびりとそう言って私に同情した。姑から聞いていた本家のイメージとあまりにも違い過ぎて、私は拍子抜けしてしまった。
このご夫婦は本家としての役割は勿論キチンと果して下さっているが、それを笠に着て”本家風”を吹かす人達ではない。田舎の付き合いは面倒くさいことも多いと思うが、文句を言うこともなくそれを当然のこととして受け容れて粛々とこなしている。
凄いことだとも偉いことだとも思っていない。ごく自然な様子である。
この本家の向かい側に、ウチが近い将来家を建てようと計画している土地がある。
Kさん夫妻は娘たちが全員嫁いで行って寂しいものだから、
「早うおいでや。一緒に畑しよう。旅行も行こう。ご飯食べに行こう」
と誘われている。
夫も私も、今からその日が来るのを心から楽しみにしている。