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ガンダムとルンバ

息子は現在大学三年生である。就活については本人曰く「ボツボツやっている程度」だそうだ。
特に行きたい業界、というのはないらしい。休学していた一年の間に、肉体労働から頭脳労働までかなりの種類のアルバイトを経験して、「世の中には本当に色んな仕事があるんだな、とあらためて思った」としみじみ言っていたが、特に興味をそそられるようなものはなかったようだ。
「取り敢えず色んな業界を覗いてみて、色んな事をじっくり考えて決める」
と言っていた。

息子によると、学生に人気の企業というのはやはり今の時代もあるそうで、大手商社や出版社などもその中に入るらしい。その企業風土が問題視されて一時期話題になった、某大手広告代理店も結構な人気だというので、驚いてしまった。
「あんなことがあっても、相変わらず人気なんやねえ」
と私が感心して言うと息子は、
「どんな会社にもそれぞれ、『向いてる奴』っているから」
とさほど驚いた様子も見せなかった。ふうん、そんなもんかなあというと、
「そういう奴は『ガンダム』みたいな奴やねん。オレは同じロボットでも、『ルンバ』やから、そういう会社には向いてへん」
と笑って言った。
絶妙な例えに、私もつられて笑ってしまった。

ガンダムは強くて頼もしくて、戦える。活躍は派手で目立つ。ルンバは強くないし、戦いは出来ない。お掃除は得意だからそう言う意味では頼れるけれど、身を守ってくれることはない。ずっと家の中にこもって、床を這いまわっている姿は地味な事この上ない。勿論全く目立たない。カッコイイのは当然ガンダムの方だ。
息子の周りには『ガンダム』が沢山居るそうだ。三年生の内から就活もバリバリ頑張って、夏休みをほぼそれに捧げているような学生もいるらしい。ちょっと聞くと本当にそれでいいのか、と私などはつい眉を顰めたくなってしまうのだが、
「そういう奴はそうするのが好きやから、そうしてるんや。別に悪いことやない。それも一つの学生生活の過ごし方としてあり、やと思うで」
と息子は言う。
「でも『オレは』もう少し学生のうちにやりたいことがある。授業も面白いし、サークルも楽しい。バイトも、続けたい。他にやりたいことがあるから、まだそこまで就活に本腰入れる気にならん。だからちょっと様子見、くらいにしておくんや。それが『オレの』やり方や」
そういう息子の表情はさっぱりしていて、少しの迷いも曇りもなかった。良い顔になったな、と心から嬉しかった。

少し前まで、私と夫は息子に『ガンダム』になって欲しいと望んでいた。有名企業に就職して、高給取りになって欲しい、なんて思っていた。涼しい顔をして格好良く働けるように、地べたを這いまわるような苦労をせずとも十分食べていけるような職業に就いて欲しい、とそれだけを望んでいた。
だがそこには、「息子が『幸せ』だと思って働けるように」と願う気持ちがまるごと抜け落ちていた。なんとも愚かで恥ずかしいことである。
『幸せ』の定義を間違えていた、と言っても良いだろう。給料が高いことは幸せの一つの要件にはなり得るが、絶対条件ではない。
例え給料が高くても、働いていて『幸せ』だと思えない仕事に就くのは、息子にとって不幸でしかない。そんな簡単なことがわかっていなかったなあ、と思う。
ルンバに宇宙での戦いを望んでも無理なのだ。同じようにガンダムにお部屋のお掃除は出来ない。ルンバは部屋の中を綺麗にしてこそルンバであり、ガンダムは宇宙で戦ってこそガンダムである。
それぞれ、与えられた役割とステージがある。

息子は今、時間をかけて、自分に向いている事、向いていない事をじっくり見極めようとしている。ガンダムとして生きることが幸せな人もいるが、自分はどうもそうではないらしい、と知り、ルンバとしてどういう仕事の仕方をすれば自分が満足できそうか、あれこれ試しながら考えているようだ。私が学生の頃には、そんな考え方をすることは全く出来なかった。ここまでしっかりと考えられるように育ってくれたことが、本当に嬉しく頼もしい。きっと息子と今まで出会ってくれた人全てが、彼の考え方に影響を与えてくれたのだと思うと、感謝しかない。
我が家のルンバはこれからどんな人生の選択をしていくのだろう。楽しみにしながら夫と二人、静かに見守っている。