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気が付けばいつもジーニスト

私は制服のようにジーンズを履く女である。
家でリラックスする時も、ゆるっとしたラインのジーンズ。ちょっとしたお出かけは、タイトなジーンズ。子育て中もジーンズだったし、どこへ出かけるにも大抵履いている。
依頼演奏の時も、『服装自由』と聞けば私はジーンズ一択である。

ジーンズばかり履いているものだから、合わせる服装も傾向が片寄ってしまう。綿や麻などのオーガニック系の素材の、大人しいデザインのものが多くなる。
たまに気が変わるときがあって、ちょっとフリフリしていたり、襟元が大きめに開いたものを買ってみたりもするのだが、やはり甘いシルエットのものは着なくなって、タンスの肥やしと化す。
やっぱりアカンなあ、ジーンズには合わんわ、と後悔することになる。

なぜジーンズばかり履くのか。あんまりじっくり考えたことはないが、多分以下のような理由からだ。
着脱が楽。皺にならない。脚が捌きやすい。余程ドレッシーな服装以外は合う。スニーカーでもパンプスでも合う。
合わない色がない。清潔感がある(但しダメージデニム除く)。そこそこボロくなっても、それなりに着られる。
要するに『着ていることを頑張らなくて良い』。
他人の目に自分がどう映るか、を最低限のライン(お洒落じゃないけど裸ではない)程度にクリアし、かつ装着にストレスが全くない。
面倒くさがりの私におあつらえ向きの衣服、というわけである。

最近、とある方に
「貴女は他人から見た自分のイメージを変える努力をした方が良い。例えば大きなバラ柄のプリントワンピースを着てみるとか」
と言われたのだが、自分の姿がどうしても想像できず困ってしまった。
多少滑稽でも、なんとなくイメージするくらい出来そうなものなのだが、全く無理である。
せいぜいジーンズをプリントスカートにするか、Tシャツをフリルとかレースのついた濃い明るめの色目のものにするくらいが限界だ。
それでも何かしっくり来ないし、落ち着かない。
私の頭の中では既に、ジーンズを履いた私が固定観念としてある。あとは上に何を着て、どんな靴を履くかだけが問題なのであって、ジーンズ以外のボトムスをチョイスすることが、アイデアとして浮かぶことは甚だ稀である。
夫のことを『着たきり雀』と揶揄しているが、自分がそういわれてもしょうがない状況なのだ。

これでも若い頃はそうでもなかった。Aラインのスカートは好きだったし、サーキュラースカートの夢見る感じや、マーメイドラインのスカートの可愛らしさも好きで、学生時代からどれもよく着ていた。
就職した会社は『通勤にジーンズは禁止』だったから、履くとすれば休日か帰宅してから、だった。
だから、パンツスタイルでもジーパンはどちらかというと出番は少なかった。
ということは、年齢と共にお洒落するのが面倒になった、ということだ。正直に認めねばならない。

同年代の女性でも、上手なお洒落をしている人を見ると憧れる。フワフワのスカートをプリントブラウスと共に優雅に着こなし、肩に力の入らないお洒落を心から楽しんでいる人は尊敬してしまう。
嫉妬なんか全然しない。同じステージにいると思うから嫉妬するのだ。私は端から、そんな人達と同じステージにいる気がしていない。舞台にいる女優をうっとり眺めて拍手を送る、観客に過ぎない。憧れであり、手の届かない遠い存在である。
でも同時に私はああはなれない、と早々に諦めてしまう。

綺麗に装いたい癖に、そんな自分は自分じゃないような気がして落ち着かない。ド定番の、ジーパン女が自分なのだ、という強い思い込みが私を安心させる。そして同時に、そんな自分が女として失格のような気がしてしまう。なら冒険して見れば良いのに。
ああ、このややこしい女心。
そう言いつつ、今日もジーパンを履いてしまう私なのである。