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米がない

最近、勤め先のスーパーでは連日、米の棚が空っぽの状態が続いている。
我が家はふるさと納税で、産地から直接コメを送ってもらっている。つい先日来たばかりであるから、当分買う必要はない。
だから、入荷した僅かな米を奪うようにして買って行かれるお客様に、『大変だなあ』と呑気な視線を送っていた。

ところが、我が家にもこの災禍がふりかかってきた。
先日、息子から
『ヘルプ!そっちって、米売ってない?オレとこ近所に全く売ってないねん。もうずっとパスタとうどんばっかりで、米粒食ってへん!家に余裕あったら少しで良いから送ってくれへん?』
という連絡が来て驚くことになった。
我が家のをいくらか送ってやっても良いが、そんなみみっちい事をしなくても近所のどこかにあるだろう、と高を括って、あちこちの店を覗いてみた。

ない。
米の棚は『現在供給が不安定です』『お一家族様一袋限りでお願いします』という張り紙が虚しくペラペラしているだけで、殆ど何もない状態である。
ホンマかい、とツッコミを入れつつ、三つ目の店にあった一キロの袋を取り敢えずゲットして帰宅した。
結局、翌日に二キロの袋を二つ買うことが出来、息子には合計五キロを送った。独り暮らしだから、当分大丈夫だろう。
今回のことで、私が若い頃にも同じように、米不足で日本中がパニックみたいになったことを思い出した。

その頃、私は営業の仕事をしていた。
取引先には米屋さんもあったのだが、
「お客さんが『米ないか』って次々来る。それも普段は見たこともないような、一見のお客さんばっかりや。こっちかって、あったら売りたいわ」
と溜息交じりに話しておられたのを覚えている。
この頃、別の親しくしていたお客様に米を二キロ、頂いたことがあった。
営業の人間は利益供与を受けてはならないので、丁重にお断りしたのだが、
「あんたとこもお米ないんとちゃう?ちょっとでも持って帰り。腐るもんやあれへんし」
と押し付けるようにして下さる。
あまり好意を無にするのも気が引けて、頂くことにした。
店に帰って上司に報告し、お客様宛に礼電をして頂いた後、女子更衣室の自分のロッカーの前に置いて仕事場に戻った。

仕事を終えてロッカー室に入って驚いた。
頂いた米袋が消えている。
ここを利用するのは女子職員だけだ。その中に不届き者が居たことになる。
かなりの衝撃だったが、米は別に惜しくなかったから、もういいや、と思い、事を荒立てることは敢えてしなかった。
家に帰って告げると母も目を丸くして驚いていた。
盗んだ人を全く恨んではいないが、みんな親切で良い人ばかりだと思っていたのに、人ってわからないもんだなあ、とちょっと虚しくなったのは覚えている。

実家の両親は、こういうパニック状態みたいなことに巻き込まれるのを極端に嫌う人達である。オイルショックの時も、トイレットペーパーや醤油を買いに走る近所の人達を冷ややかな目で見ていたらしい。
母がどうにか都合をつけたのだろうが、この米不足の時も、我が家には普通に白米が供されていた。滞った記憶はない。
『ガタガタ言うてもなるようにしかならん。物事はちゃあんと上手いこと行くようになったある。余計に騒いで事を大きくしてもロクなことがない。実際はどうなってんのか、冷静に見なあかん』
こういう時の父の口癖である。
両親はこのセオリー通りに行動していたようだ。

最近は夜明けが少しずつ遅くなってきた。
昨日の空には見事な鱗雲が浮かんでいた。
日が暮れてからは涼しい風が吹くこともある。
暑かった夏(過去形にはしづらいが)も段々終わろうとしているのを感じる。
礼のメールをしてきた息子には
『これを食べ終わる頃には新米の季節になって、この騒動も落ち着くやろう。今だけやから、心配せんでもええと思うで』
という返事を送っておいた。
もうすぐ新米の季節だ。