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夜のお散歩

夕飯の準備の傍ら、録画しておいた『科捜研の女season23初回二時間スペシャル』をワクワクしながら観ていたら、お盆休み中の夫が二階の自分の部屋から降りてきた。眉間に皺を寄せて、浮かない顔をしている。黙ったまま私の横にどさりと寝そべると、こう切り出した。
「お爺さんとお婆さんのこと、どうしようか。お前も一緒に考えてくれよ」
私は再生を止めた。
「うん?施設出ないとあかんってヤツ?」
舅は老健施設から『年内に退所する方向でお考え下さい』と言われている。その後のプランは白紙だ。
「そう。その後、どうするか」
「どうするかって、自宅でデイケア行きながら、ヘルパーさんに助けてもらって、先生の訪問つけてもらってやっていくか、ウチで引き取るか、しかないんとちゃうの?」
「そらそうやけどな。おばあがもうちょっとしっかり自分の考えを持っとったら、こんなことにならへんのに。お姉もお姉や。おばあに反応して、同じようにキイキイ言いよる。問題の解決にならへん」
実は舅は姑と一緒に暮らす生活を望んでいない。少し医療的ケアが必要な為、負担をかけるのが辛いのと、イライラした姑が姉にあたるのを見聞きするのが嫌なようだ。
夫はずっと同じことをブツブツ言っている。夫にしては珍しい。

言っても詮無いことをクダクダ言うのは姑の専売特許であって、夫はあまりこういうことを言わない人である。今日はなんでこういう調子なのかな、と考えた。
今回、夫のお盆休みは長い。本当は本家の墓参りに行く予定だったからだ。だが早々と目的地への電車が止まってしまい、断念せざるを得なかった。あの新幹線の大騒動を見れば結果的には助かったのであるが、気の合う従兄夫婦と、一年ぶりに楽しく近況を語り合うつもりでいた夫は、ちょっと残念でもあったらしい。
こちらも妙な天気ばかりが続き、おまけに暑いったらない。そんなわけで夫はここ数日、すっかり『おうち遊び』に夢中になっていた。

以前より部屋はずっと広いし、ゆっくり過ごせる。大好きなピアノもある。だが基本的に外に出て行くのが大好きな人である。本人はそのつもりがなくてもずっと外に出ず、身体を動かさないことによるストレスが相当溜まっているに違いない。
私の方はお盆だろうが何だろうが、いつも通りに仕事がある。子供ではないので、お昼を適当に作り置きして行く他は、夫の動向に気を配ることは皆無だ。
しかし、夫のメンタルが良くない傾向であるのは間違いない。所謂『煮詰まっている』状態なのだろう。
ちょっと考えて、
「じゃあ、一緒に夜のお散歩に行こう」
と誘ってみた。

「お散歩?今からか?」
夫は意外そうな顔をして私を見た。外は少し薄暗くなってきている。夕飯の準備もほぼ出来ている。
「食事してから行こうか」
というと、
「暑いけどまあええぞ」
ということだったので、急いで食事を済ませ、ちょっと休憩して夕闇の迫る外へ散歩に出かけた。

歩きながら色々話せるかと思ったのに、夫はこういう時わき目もふらずに歩いてしまう人である。勿論、パートナーの存在は綺麗に忘れ去られている。今日も例外ではなかった。
「もうちょっとゆっくり歩いてえや」
後ろから声をかける。散歩というより競歩である。
「おお、すまん」
先を行く夫はやっと気づいて止まってくれた。それにしても当初私が誘った目的から、大幅にずれている気がする。
「どこ行くの」
「どこ行こか」
「決めんと歩いとったんかーい」
「おお」
二人して顔を見合わせて笑う。その間も夫は歩き続けている。ちょっと止まらんかい。しょうがないので小走りについて行く。
この人は何でも自分で決めないと嫌な人だ。歩き方も、『目的地を決めない事』も自分で決めた通りにしないと嫌なのである。

そこら辺を適当に散策して、結局殆ど何も喋らないうちに家が近づいてきた。凄いスピードで歩いたので二人共汗だくだったが、外は案外風があり、陽射しもないので涼しかった。
帰る途中、家の近くの草むらから、コオロギの鳴き声が聞こえていた。
「言うてる間に秋やねえ」
「ホンマやな」
「まだまだ暑いけど」
「そうやな」
結局、交わした会話らしい会話と言えばこれくらいだった。

家に入り、着替えて和室の畳に寝転んだ夫は、皿洗いをしようと立ち上がった私の方に顔だけ向けて一言、
「ありがとう」
と言って笑った。
私も黙って笑うと夫の頭をちょっと撫でて、皿洗いをする為台所に立った。

何があっても、私達はきっと大丈夫だ。