見出し画像

ええ人の集まる会社

何度か書いているが、我が家は借り上げ社宅である。
メンテナンス的なことは、ほぼ全て管理会社である不動産屋が請け負ってくれる。対応も早くて、とても助かっている。
この不動産屋は従業員数名の、小さな個人経営の会社である。ウチから電車で行くと五つくらい離れた駅のすぐ前にある。
ここの社長が人懐っこく愛想の良い面白い方で、話しているとついニヤニヤ笑いが浮かんでしまう。

入居初日からいきなり風呂場の電球が切れていたので連絡したところ、
「行き届かないことですいません。すぐ対処しますんで」
と言って、社長自らわざわざ車をとばしてきてくれた。
現場を確認する必要もあったのかな、とは思ったが、
「ご挨拶もまだでしたんで。ついでで申し訳ないですが、この度はありがとうございます。お世話になります」
と丁寧に頭を下げて名刺を差し出され、恐縮してしまった。
電球は社長がワイシャツの袖をまくり上げて、手ずから取り替えてくれた。肩にはね上げられた一流ブランドのネクタイが、物凄く場にそぐわないような気がしてしょうがなかった。
社長を見送った後、
「良い会社みたいやねえ。なんかホンワカしてるっていうか」
「ホンマやな。家族経営って感じでほのぼのしててええな。対応も早いし」
夫と笑いながらそんな話をしたのが、もう三年前のことである。

昨日、夫とコーヒーを飲んでいると、インターホンがなった。
「どうも、○○造園です。不動産屋さんから敷地の雑草取りをするように言われてまして。明日やらせてもらうんですけど、この植え込みのヒイラギ、一緒に切ってしまって良いですか?」
夫と一緒に出てみると、恰幅の良い、七十代くらいの白い作業着姿の、人の良さそうな男性が一人、ニコニコしながら立っていた。男性は首にかけたタオルを取って、ペコリと頭を下げた。

我が家の植え込みにヒイラギの木が二株あり、難儀しているという話を以前書いたことがある。
先住者が植えたのか、鳥が種を落としていったものが芽吹いたのかわからないが、この丈夫で生命力の強い木は、切っても切っても葉を繁らせる。
葉がトゲトゲして、ちょっと手が触れると飛び上がるほど痛い。他に植えているものがあるので邪魔にならないよう手入れしているのだが、触らないように作業するのはかなり面倒だった。
このエンドレスな闘いに、私は最近疲れてきていた。
事前に何の連絡もなかったので非常に驚いたが、男性の提案の内容は願ったりかなったりである。私は一も二もなく同意した。

では切らせてもらいます、明日よろしく、と言って帰りかけた男性は、何を思ったのか突然振り返り、
「奥さん、蜂蜜食べる?」
と訊いてきた。
ヒイラギの話からいきなり蜂蜜の話に飛躍する理由が理解できない。しかも急に口調が砕けすぎている。ちょっと頭がついていけなくなって、戸惑いながら
「はあ、毎朝食べてます」
と言ったら、
「俺ね、趣味で養蜂やってんの。国産蜂蜜、要らない?安くしとくよ」
と言う。

造園屋さんがなぜ養蜂業をやっているのか、そして蜂蜜って誰でも作って良いものなのか、疑問だらけで混乱する私を尻目に、夫はおじさんと養蜂の話で大いに盛り上がっている。
「どの辺でやっておられるんですか?」
「○○の辺り。あそこはね、近くに果樹園があるから、美味しい蜂蜜が取れるんだよ」
「へえ~!蜂蜜って誰でも作って良いんですか?」
「一応許可は要るから、取ってるよ。混ざりものは一切ナシだから、ウマイよ」
「農薬とか平気なんですか?」
「うん、農薬を蜂が持って帰って来るとね、わかる。もうおしまいだね。売り物にはならないよ」
「へえ、スゴいですねえ。おい、一個貰おう。今持ってはりますか?」
夫、乗り気である。私も興味はないこともない。
しかし国産蜂蜜は高い。このおじさんの蜂蜜に、それだけの価値が本当にあるのだろうか。
私の心の葛藤を知らない男性は、朗らかな調子で続けた。
「うん、持ってるよ。百貨店なんか行くとさ、四、五千円する大きさだけどね。千八百円で良いよ」
男性は助手席の上に置いてあった小さな保冷バッグから、蜂蜜の瓶を一つ取り出して手渡してくれた。確かに、店で普通に買えばそのくらいする大きさだ。
もう購入するしかない。
「奥さん、領収書要る?」
ご丁寧に訊いてくださる。
私が笑って手を横に振ると、男性はニコッと笑って
「んじゃ、明日よろしくお願いします」
と愛想良く頭を下げて軽トラックを発進させた。

夫と家の中に戻って顔を見合わせ、どちらからともなくプッと吹き出した。
「愉快なおじさんやねえ」
「なんかこの家、ええ人ばっかりに世話になってるなあ。工事のお兄さんもおもろいし、あのおじさんもええ人やなあ」
「社長が面白いええ人やから、集まって来るんと違う?」
「そうやなあ」

関東の人はどうも生真面目な人が多くて、ちょっと違和感を覚える時もある。しかしこういう心暖まるやり取りが出来ると、こっちの人もあったかいなあ、と心がほのぼのする。
明朝食べる蜂蜜の味が、今から楽しみになっている。








この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: