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たあことお父ちゃん

中学校一年生の時の同級生のその子のことを、私はいつも『たあこ』と呼んでいた。
入学して同じクラスになり、
「たあこって呼んでな!」
と本人に明るく言われたのがきっかけだったと思う。
本名は忘れてしまったが、多分『たえこ』か『たかこ』だったのだろう。
背が高く、勉強は苦手な方だったがスポーツは万能。明るく無邪気で、ちょっと同年齢の子達より精神的に幼い感じを受ける子だった。おませな同級生が増えていく中、まだ初潮も迎えない幼かった私には丁度良い話し相手で、休憩時間もよく一緒につるんでいた。
放課後などに一緒に遊んだ回数は少ないけれど、私はこの子のことが四十年以上経った今も強く印象に残って忘れられない。一緒に良く過ごしたこともあるが、多分折に触れて細切れに語ってくれた彼女の生い立ちが、私にとってかなり衝撃的だったからだと思う。

彼女は近所の児童養護施設から学校に通っていた。
母親は彼女曰く、
「私が小さい時に病気で死んでん。顔も覚えてへん」
ということだったが、彼女がそう聞かされていただけなのか、本当にそうだったのかは分からずじまいである。
父親の方は病院で寝たきりだった。病名は知らなかったが、今思えば多分進行性の不治の病だったのではないかと思う。
「お父ちゃんな、お見舞いに行くたんびに痩せていくねん。私な、『死なんといてや、絶対に元気になってや』って言うねんけど、お父ちゃん泣くばっかりやねん」
そう言って、彼女は人目も憚らず大粒の涙を流していた。
たあこ可哀想、と当時の私や仲良し友達は、彼女に大いに同情したものだった。

ある日、彼女がいつものように父親の話をした時、
「お父ちゃんな、『この病気は昔悪いことしたバチや。オレのせいでたあこに寂しい思いさせてすまん』って謝るねん」
と泣きながらいうので不思議に思い、
「悪いことって何?」
と訊くと、
「お父ちゃんな、若い時にヤクザやっててん。私が生まれることが分かって、ヤクザの偉い人に『もうヤクザやめます』って言うて、お母ちゃんと結婚してん。でもヤクザやめる時ってな、小指の先っちょ切らなあかんねんて。だからお父ちゃん、小指の先っちょあらへんねん。きっと死ぬほど痛かったやろと思う」
と痛そうに顔を歪めて言った。
思いもかけない話の展開に、私はただビックリしてしまった。

私の様子など気にする風もなく、たあこは続けた。
「でもな、お父ちゃんは私の為に痛いの辛抱してくれてん。小指の先っちょなかったらな、ヤクザやってたって分かるからみんな怖がってな、普通のお仕事はなかなかさせてもらわれへんのやって。だけどお父ちゃん、ちゃんとお仕事してな、私育ててくれてんで。お父ちゃん、滅茶苦茶優しいで。私のこと物凄く可愛がってくれんねん。私、お父ちゃん大好き」
そう言って泣き濡れた顔で私を見ると、たあこは屈託のない笑みを浮かべた。
私は言葉に詰まってしまった。

その頃の私は父親のことを親しみを込めて『お父ちゃん』と呼ぶことなど、一切なかった。父親は『家庭の絶対的支配者で、威厳があり近づきがたい存在』という感じを強く持っていたから、たあこが父親のことを愛情たっぷりに『お父ちゃん』と呼び、堂々と『優しい』『大好き』と言って憚らない事が信じられなかった。
そんなお父さんって本当にいるのかな、と思っていた。

今になって振り返ると、私が戸惑っていたのはたあこの特殊な家庭事情に対して、というばかりではなかったような気がしている。
誰もが後ろ指を指すであろう、元裏社会の人間である父親への愛情をあっけらかんとオープンにする。百パーセント疑うことなく、そんな父親からの愛情を受けていることを心から喜び、誇る・・・
そんなたあこを『眩しく』『羨ましく』思っている自分がいたからである。

卒業してから、たあことは二度と出会うことがなかった。卒業後は繊維関係の会社の寮に入り、働きながら夜学に通うという風に本人から聞いていた。
お父さんがとうとういけなかった、と聞いたのは卒業から暫く経った頃だった。
ひとりぼっちになってしまったたあこの嘆きを思うと、胸が痛んだ。
お父さんもさぞ心残りだったに違いない。
だけど、あそこまで娘に『大好き』と言わしめるお父さんだから、きっと限られた時間にありったけの愛をたあこに注いでから、天に召されたのだろうなと思う。

恵まれた境遇の家庭で育っても、親の愛をしっかり受け取れたと思えない子供は世の中に沢山いる。
親子の幸せってなんだろう。愛情をかけるってどういうことなんだろう。
親子にまつわる色んな悲しい事件を見聞きする度、そんな思いと共に思い出す親子である。
たあこは今頃どうしているだろう。