見出し画像

遊び方の流儀

休日の朝、早すぎる時間に目覚めてしまうと、夫はいそいそとバイクでツーリングに出かけてしまう。
ウチから少し行くと、風光明媚な海岸線が続いている。いつもは観光客で渋滞するこの道も、この時間だとガラ空きなのだそうだ。
潮風に吹かれながら、楽しくのんびりと三時間ほど、景色を愛でながら流して、私が出勤する時間くらいに帰ってくる。
おかえりと行ってらっしゃいが玄関で交差する。
夫はそれから遅めの朝食を摂るのだ。

これだけなら平和なものなのだが、夫はこのバイクツーリングに出かけた後、必ずといって良いほど体調を崩してしまう。帰宅するとぐったりして、床に長々と寝そべっていることが多い。
何故だかよく分からないが、私が考える原因は以下のようなところである。

先ず、バイクに乗る姿勢が負担になっているのではないか、と思われる。
夫のバイクは所謂『ポケットバイク』という奴だ。これに乗っている夫は、例えは悪いが、まるで三輪車にしがみついているチンパンジーみたいに見える。
この強烈に前屈みの、極端な猫背みたいな姿勢を長時間取り続けるのは、誰だってしんどい。もともと猫背とはいえ、夫も例外ではなかろう。
筋肉が固まってしまって、強烈に疲労しているのではないだろうか。

次に、夫が男性には珍しい、かなりの冷え性であることが挙げられる。
早朝の海岸線の強い風の中を、ジーパン一枚で突き進んでいれば、夏でも冷えるに違いない。少なくとも、温もる時間は全くない筈だ。
冷え過ぎは誰だって、身体がだるく重い。簡単に分かる理屈である。

どちらにしても、適度に休憩を挟んだり、距離を短くして運転する時間を短縮したりといった工夫をすれば防げることだと思う。
だが、そこは我が夫。絶対にそんなことはしない。前に前にと、兎に角突き進むようだ。この時点で、何のためのツーリングか、分からなくなっているような気がする。
最早単なるア〇でしかないと思うが、何を言っても無駄。忠告はしない。

つまり、遊ぶときは一生懸命遊ぶ我が夫だが、その度合いが極端過ぎるのである。
何も身体を傷めてまで遊ぶ必要はないと思う。そもそも『リフレッシュ』にならない。遊びで新たな苦痛を生んでどうするよ、と私などは常々呆れている。
しかし夫の言い分は
「遊ぶからには思いっきり、トコトン遊ばなアカン。手加減なんかしてたら、楽しくないやんけ」
ということだそうだ。
まあ確かに遠慮しながら遊んだって、なにかスッキリしないのかも知れない。夫の言い分にも一理ある。

しかし、このセリフを吐いて良いのは『健康で若く、疲れを知らない、鍛えた身体の持ち主』か、『そう言いつつ、身体への適度な配慮が出来る大人』に限られると思う。
少なくとも身体をある程度酷使する『遊び』に於いて、齢六十を過ぎた、たいして鍛えてもいない人間が、急に『思い切り身体を酷使して遊ぶぞ!』と気持ちばかり張り切ってみても、『年寄りの冷や水』にしかならない。
本人はいつまでも若いつもりのようだが、身体は本人の意思とは関係なしに、確実に老いてきている。こればかりは自然の摂理だから、ある程度は潔く受け容れるしかない。
自ら心がけて、気持ちを若く保つのは良いことだ。しかし、自分の身体に関しては、冷静で客観的な視点から見た方が良い。下手すると命を縮めかねないと思う。
でも、夫は聞く耳を持たない。もう慣れてしまって、怒りも湧かない。

ツーリングから帰宅して、しんどそうに横になる夫を見ていると、『外歩きをしないと歩けなくなる』と言って、周囲が止めても危なっかしい足取りで杖をついて、なんとしてでも外に行こうとする姑の姿と被る。
どちらも頑固に、自分の身体的な衰えを認めていない。つくづく似たもの親子だなあ、と感心する。
姑も、周りが何を言っても耳を貸さない人である。夫と同じ、良くない意味での『執念の人』だ。
つまりこの親子は『こっぴどく懲りるまでやらせるしかない』のである。

夫の人生なのだから、好きに謳歌してくれたら良い。
身体は大事にして欲しいとは思うが、『オレの身体はオレが一番よく分かっている』そうだから、もう何も言うまい。
今日も夫は朝五時から出かけていき、私が仕事から帰宅すると、居間でしんどそうに寝そべってうつらうつらしていた。
黙ってそっとタオルケットを掛けると、夫はウウンと唸って寝返りを打った。
音を立てないよう、抜き足差し足で居間を後にした。













この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: