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隙間を埋める

私のお弁当作成歴はそんなに長くない。
夫に毎日作っていたのは、北陸に居た六年間である。食堂のメニューがカレーとうどんと意味不明のフライセットしかない、と嘆いていたので、子供の離乳食が始まる頃から作り出し、転勤するまで続いた。
転勤先の食堂は充実しており、弁当派がほぼいない上に法外に安く、弁当より安上がりだという事が判明した為、弁当作成はここで終了した。
こちら関東の食堂は更にゴージャスだとかで、夫は時折『オレは社食を食うために仕事に行ってるんだ』と公言して憚らないくらいであるから、勿論弁当のべの字も必要ない。

子供には幼稚園と中学高校の計九年間作った。
幼稚園は各日で給食の日があったから、毎日ではなかった。幼稚園児の弁当なんて、量が知れてるから楽なものだった。
中学高校は
「出来るだけ沢山入れてくれ」
と言われて詰め込み過ぎ、
「程度考えてくれよ」
と呆れられたりもしていた。どうも匙加減が下手で困った。
寝坊して慌てて用意したり、箸をうっかり入れ忘れたり、忘れたのを学校まで届けに行ったり。今となっては懐かしい思い出である。

弁当を作る時に困るのが、『隙間』である。あれこれ考えて作って詰めても、どうしてもチョコッとした空間が出来てしまうことがある。
隙間があると具が偏ったりして見栄えも悪く、食べづらい。そこでコイツをどうやって埋めるか、に長年結構いろんな工夫?を凝らしたものだった。
冷凍のミニシュウマイは便利な穴埋め材料だった。レンジで温めて入れれば良いだけだから、超楽々である。オマケに夫も子供も大好きだったから、本当によくお世話になった。
某社の『チー〇ク』もよく入れた。
練り物系のおかずは火を通さないと特に夏は心配なのだが、これはそのまま入れていた。他のおかずとご飯を十分に冷やせば大丈夫だろう、と思っていた。幸い妙なことにはならなかったが、ややスリリングな気分だったのは否めない。
これも夫にも子供にも好評で、二人共とても入れて欲しがった。味が濃いのが良いのか、ちょっと箸休めに向いているのか。
困った時はキャンディーチーズやスモークチーズも入れたりしていた。
これも二人共に大好きで、入れておくとお礼を言われたりした。
全く労力を費やしていないおかずを喜ばれるのは、嬉しいけど妙な気分だった。

本当に入れるものがない時は、小さなお菓子を入れたりもしていた。
ミニドーナツは良く入れた。一個入りきらない時は半分に切って入れることも出来る(残りは私の口に入る)。便利だったから、常備していた。
子供は大喜びだったし、夫も甘いもの好きだから、積極的に嬉しそうにはしないけど、まあおかずとして『あり』だと思ってくれていたらしい。
ただ、夫には一度だけ苦情を言われたスイーツがある。
割って食べるブラウニーを小さくして夫の弁当の片隅に入れた時のことである。
帰ってきて弁当がらを渡しながら、
「お前、菓子入れてくれんのええけど、そういう時は『菓子入ってる』ってちょっとメモでも入れといてくれ」
と夫が疲れた様子で言う。どうしたのだろうと思って訊くと、
「ブラウニー、肉のそぼろやと思って飯に撒いてもうた・・・」
と悲しそうに言ったので、大変申し訳ない気分になり、丁重に謝った。
ブラウニーの塗されたご飯を口に入れた夫は一体どんな顔をしたのだろう・・・。
それからはブラウニーを入れることはしなかった。
今でもブラウニーを見るとつい申し訳ない気分になってしまう。どうもトラウマになっているようだ。買い物していても、どうしても手が伸びない。
ブラウニーに罪はない。

『愛情を込める』なんてよく言われるけれど、食べる方は案外こんなお手軽超時短なおかずを喜んだりするのだから、いい加減なものだ。
作る行為だけに愛情が込められるのではなく、食べてくれる人を想像する過程に作り手の愛情は自然と込められるのではないかと思う。
一生懸命作るのも良し。手抜きも良し。どちらにしても『行ってらっしゃい』と弁当を差し出して送り出す時、相手の健康を願う気持ちがあればそれで良いような気がする。当時はそんな事、全く考えずに必死になっていたけれど。
私の弁当作製時代の懐かしい思い出である。