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じいちゃんも夫

NTTの番号案内サービスが二年後?に終了する、というニュースを聞いた時、『まだやってたんや』と驚いた。
近年の利用者の減少が廃止の理由らしい。誰もが納得するだろう。
昔は何度かお世話になったことがある。固定電話を引くのが当たり前だった時代には、結構重宝した。
時代の流れを感じている。
ニュースを聞いた時、ふと昔の思い出が蘇った。

ハッキリとは覚えていないのだが、多分小学校高学年くらいの頃だったと思う。長期の休みか何かで、私は祖父母宅に一人で滞在していた。
いつもは夫婦二人で出迎えてくれるのだが、その時は珍しく、祖母は町内の婦人会の旅行で城崎温泉に出かけていた。
祖父が一人、手持無沙汰に出迎えてくれた記憶がうっすらある。

夕飯には近所の寿司屋から、握りの盛り合わせを取ってもらったと思う。祖父と二人、いつもよりは少ないながらもそれなりに会話も弾み、やがて風呂に入ろう、ということになった。
随分早い時間ではあったが、まあ祖父の都合もあるだろうと思い、私は一も二もなく同意した。
ところが湯を張る為にスイッチを押す段になって、祖父はオタオタしだした。
やり方がさっぱり分からないのだという。

祖母は新しいもの好きで、新商品が出ると何でも真っ先に試したがった。テレビのコマーシャルで目新しい商品が宣伝されると、次に祖母宅に行った時には必ずと言って良いほど、その商品が置いてあった。
今では当たり前の、スイッチ一つで湯が張れる風呂が登場した時も、これは祖母の格好のターゲットになった。浴槽を入れ替える大工事が必要になったが、祖母はそんな事よりも新しい風呂に大満足して、
「ええ風呂になったさかい、また入りにおいで」
とことある毎に私達に宣伝?していた。

「おばあちゃんに電話してやり方を訊こう」
祖父はそう言ったものの、連絡先の電話番号なんて勿論、聞いていなかった。ただ宿泊先は聞いていたから、
「番号案内で訊こう」
ということになり、祖父は受話器を取り上げて問い合わせをした。
「もしもし。城崎温泉の・・・キンパロウっていう旅館なんですけどな・・・そうです、キンパロウです、キンパロウ・・・」
もう随分耳も遠くなりかけていた祖父が大きな声で何度も連呼するので、そばで聞いていた私まで、『城之崎にはキンパロウという旅館があるんだ』と覚えてしまった。

その後、電話が無事に繋がったのか、祖父が祖母とどのようなやりとりをしたのかは、全く覚えていない。しかし風呂に入れなかったという記憶はないので、多分なんとかなったんだと思う。
今思えば、私もそこそこ大きくなっていた癖に、説明書を見るとか、多少助言してあげれば良かった、と思う。祖父母宅ではいつも全てお任せで、『お客様』扱いされることに慣れていた所為もあるだろう。

多少の記憶違いはあるだろうが、何故こんなことをしっかりと覚えているのか、と言えばやはり、いつもは頼りがいのある祖父の慌てた姿が、孫の私の目に奇異なものとして映ったからだと思う。
自分も良い歳になり、自然とあの頃の祖父母の年齢の人達を『これから老いていく不安を抱えた人』として見ることが出来るようになった。
そして結婚して夫を持つ身になったことで、『いざ自分だけで家事をやるとなれば、殆ど何も分からない夫』というのが存在することも理解出来るようになった。
また、時にはそれがとても重く、たまには逃れたくなる妻の気持ちも十分分かるようになった。
今では『あの時の祖母は、祖父と二人の日常からほんの少し逃れ、思い切り羽根を伸ばしていたことだろう』と微笑ましく思う。

勿論、二人共とっくの昔に鬼籍に入ってしまった。
あの頃に夫婦としての祖父母を理解することは不可能だったけれど、この歳になれば、分かることもある。
思い出というのは、こうやって何度も取り出して、大切に味わうものなんだろう。