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『ただ休む』のが苦手

育ちの所為か、生まれつきの性分なのか、何もしないでいる時間を過ごすのが物凄く苦手である。
家事も済ませてしまった、仕事も休みだ、夫も出勤してせねばならないことは皆無、という、傍目から見れば非常に喜ばしい状態になると、どうもソワソワと落ち着かない気分になってしまう。
身体が疲れていようが、寝不足だろうが、関係ない。暇な時間がやってくると、理由の分からない衝動が、私を『さあ動け』『ほら働け』と駆り立てる。
結果、心からまったりと休みを楽しめた試しがないような気がしている。
世間ではこういうのを『貧乏性』というのだろう。
決して裕福な育ちではなかったから、私が貧乏が板についたカマボコのような女であっても不思議はない。しかしつくづく損な気性だなあ、とも思う。

例えば明日は休みだ。その翌日も休みで、オマケに夫はその日から長期で出張に行く。つまり私には誰にも縛られない、好きに過ごせる夢のような時間が約束されている訳であるが、『その時間に何をするか』を考えねばならないということが、一種の面倒臭さを伴って私にのしかかってくる。
脳内をほじってみても、ただ暇な時間が長めにある、という事実の認識が出来るくらいで、斬新なワクワクするアイディアなど、何も浮かんでこない。
せいぜいお気に入りの店の『海の幸サラダ』をつまみながら、ワインを飲んで、録画しておいたドラマの続きを観ることくらいが『楽しみ』なくらいである。
正確に言うとこの『楽しみ』ですら、義務感を以て感じられることがあるのだから、我ながら呆れたものだ。

お気に入りの店には、他にも気になるサラダがいくつかある。中でも『牛イチボのゴロゴロサラダ』はとても気になっている。でもお値段が『海の幸サラダ』の倍くらいする。すると私の中の遠慮虫が『いつものサラダでも良いやんか、十分美味しいし』と財布の紐をぎゅうっと締める。
それに抗うのが面倒くさくて、私はつい『海の幸サラダ一つ』と頼んでしまう。さも、自分が心から楽しみにしているオーダーであるように。
ワインだって、本当はもっといいヤツが飲みたい。でも高級ワインの棚を横目で眺めながら素通りし、隣の棚に大量に並ぶ安いワインをつい籠に入れてしまう。そして『平日にワインを飲みながら食事するなんて、私ってなんて贅沢なの』と心の中でうそぶく。
ドラマだって観たいのは本当だが、こなし仕事のように観ているものもある。たいして内容に興味も持たず、手許でスマホをいじくりながら、BGMのように流れる映像をなんとなく眺めているようなこともある。
つまり私は『エセリラックス気分』を味わっている。いやこういう時の私は『リラックスしている気分にならないといけない』と自らを『律して』いるのだと言って良い。
結局、こんな時まで『○○しなきゃ』の奴隷になっているのだから、笑える。

この困った性分をどうにかして修正したい、とは思っているのだが、生憎素の私という人間はかなりの頑固者で、なかなか上手くいかない。
思考が人間を縛り、縛られたことによって生み出される思考が一層その人間を縛る。この負の連鎖を断ち切るためには、どこかでブレークスルーとなる、今までの自分の思考の枠から逸脱した行為をし、それをした自分をまるっと肯定する必要があると思っているのだが、実際に自分がやるとなるとなかなか難しい。足に重い鎖が付いたように、行動できない自分が居る。

何もしない時間を、ただ楽しむ。
暇な時間があることを、ただ喜ぶ。
動かなくて良い身体を、ただ横たえる。
簡単なことなのに、私にはまだまだ難しい。

まあこれでもマシになった方だ。
以前の私なら、サラダを外で買うなんてもったいない、ワインなんて飲むのは特別な時でないと、ドラマは録った以上しっかり観なきゃ、と『頑張って』いただろう。ガッチガチの『ネバネバ人間』だったから。
『ネバネバ人間』の粘り具合も随分緩んできたとは思うが、まだちょっと粘り気が残っているようだ。
罪悪感に負けることなくイチボのサラダを買って、ちょっとお高いワインも飲んで、本当に観たいドラマだけを観ながら、ゆるーっと満たされた気分で眠りに就ける日が、そう遠くないうちに来ると良いなあ、とのんびり構えている。








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