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吽は期待しないで

「アイツはいつ帰ってくるんや?」
昨夜の夕食後、夫がテレビを観ながら言った。私は夕飯の後片付けをしている真っ最中だった。『アイツ』とは息子のことである。
「あ、大晦日に帰るって言ってきたよ」
皿を洗いながら答える。色々忙しい。
「いつ?」
夫はコタツで仰向けに寝そべったまま、微動だにせずにまた問いを投げかけた。いつもの調子である。
「一昨日かな」
仕送りしたよ、という連絡の返事に、息子が返してきたのである。
「大晦日の何時ごろに帰ってくるんや?」
時計の針は七時半を回っている。大河ドラマの始まる八時にテレビの前に陣取れるように、私は食事の片付けを急いていた。夫の問いかけに答えるのは、いちいち面倒である。なんで到着時間が気になるんやろう?なんの計画があるん?
「さあ、そこまで聞いてないけど?なんで?」
思わずちょっと詰問口調になった。
「いや、別に」
夫はムッと黙り込んだ。あら、気分を害したかしら。
「自分で訊いてみたらええやん」
「いや、ええわ」
こういうと、完全に背中をこちらに向けてしまった。

ドラマ終了後、また夫が話しかけてきた。
「オカンがな、電話かけても出よらへん」
姑は現在、老健施設に居る。相部屋の為、他の人の迷惑になるから電話はあまり架けられない、と本人から聞いている。
「他の人の迷惑になるって、言うてはったよ。それででしょ?」
「あんなに毎日毎日、ペラペラ喋っとったのにどうしとんのかな」
何か言いたげであるが、わざと気付かぬ風を装う。
「もう一回架けるとか?心配ならお姉さんか施設に訊いてみるとか?」
施設には姉も定期的に通ってくれている。何か変化があれば、姉や夫に直接施設から連絡が入るようにもなっている。だからそんな心配は無用である。でも敢えて言ってみる。
「いや、ええわ」
夫は奥歯に何か挟まったような顔をして、黙り込んでしまった。

夫はよくこんな風に、自分の希望通りに私が動いてくれることを期待した物言いをする。
息子の到着時間が気になって仕方がない。でも父親たるもの、髭の生えたような息子の帰省を心待ちにしているなんて知れたら、恰好がつかない。母親である私なら、そんな様子をしてもおかしくないだろう。コイツに訊かせよう。そんな魂胆が丸出しである。でも『訊いてみてくれよ』とは絶対に言わない。
姑のことも気になってしょうがないのだ。でも良い歳をしたオッサンが、母親の声を永らく聞いていない、という理由だけで、施設に問い合わせをするのは、いかにもマザコンみたいで恥ずかしい。姉に訊こうものなら、『なんやねん、自分でそんなもんくらい架けえな!』とどやされるに決まっている。バカバカしいし、ちょっと怖くもある。
でも嫁が勝手に施設に訊くなら、大丈夫。オレはプライドを傷つけられることなく、母親の無事を確認できる。願ったり叶ったりである。コイツが架けてくれないだろうか。
顔にそう、書いてある。

永年夫婦をやっていると誰でもそうだと思うけれど、言わなくても、相手の考えていることがよくわかるようになる。
父親の威厳を保ちたい。でも本心では息子が待ち遠しくてしょうがない。何時に帰ってくるんだろう。元気なんだろうか。気になって、ソワソワしているのだ。
マザコンだなんて思われたくない。でも、母親は心配である。施設に居るからどうかなっている心配はないけれど、本人が望んでの入居ではない。不満ばかり言って、職員に嫌われているのではないか。誰かが話を聞いてやらねばならないのではないか。やっぱり気になって気になって、しょうがない。

問題の解決は物凄く簡単だ。夫が素直になれば良いだけの話である。
息子にLINEで『大晦日は何時に帰ってくるんや?元気なんか?』とメッセージを送れば良い。
姑にだって、もう一度電話を架ければ良い。出ないのが心配なら、自分が施設に架ければ良い。
でも、これらの行為を『自分が』することに、夫はどうしても抵抗がある。そして都合が良いことに、傍らには『嫁』がいる。コイツになら、なんとかさせられそうだぞ、と思う。でも、自分が勝手なことを言っているのがわかっている。それは認めたくない。だから、言わずして察して欲しい。グズグズと分かりづらい要求の出し方をすることになるのである。

いくら気心の知れた夫婦だって、こんな阿吽の呼吸は御免である。これにいちいち答えていると、私は忖度女王になってしまう。
あなたの問いかけが『阿』だとわかっても、『吽』は言いません。いい加減、素直におなり。
期待通りにならず、拗ねて寝っ転がる薄くなったごましお頭に、心の中でそっとお説教しながら、二階の自室へ退散した。