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二人三脚で行こう

ここ最近、夫が暗い。
ニュースで岸田首相の発言が流れるや、「コイツはとんでもない奴だ」と激しい口調で批判したり、有名人の誰々が亡くなった、と聞けば「死因の説明がない。自殺と違うか」とすぐに悪い方に勘ぐる。
そういう時の表情はあまり見たくないくらい、陰気で嫌な感じだ。まるで夫ではないようだ。
一体どうしたのだろう、と気になっていた。

以前だとこういう時、私は夫に適当に同意して見せたり、うるさいと感じる時は無視したりしていた。
同意さえしておけば、取り敢えず夫とは敵同士にならずに済む。その同意に本当の私の意見は微塵もなくても。表面さえ取り繕って、貴方に従順な妻、を演じておけば家の中は安泰だ。適当にやり過ごそう。そんな風に思っていた。
中味のない上っ面の賛同で、夫婦の間に生じた小さな綻びを繕った気になっていたのである。夫を軽んずる気持ちがそこにあることに、気付いていなかった。思いやりなんて欠片もなかった。
無視したのだって同じことだ。
まるで二歳児の反抗のように、徹底的に夫と意見を戦わす気もなく、ただ態度でだけ不満を露わにしていただけだった。嵐が通り過ぎるのを、身を縮めてただ待っていた。
要するに私は、その場その場を平穏に過ごすことだけしか考えていなかったのである。

でも今回はちょっと立ち止まって、考えた。
私は風呂上がりにぼおっと気持ち良さそうにしている夫に向かって、
「背中押そうか?」
と話しかけた。夫は喜んですぐにうつ伏せになった。
背中を押しながら、話しかける。
「あんね」
「うん」
「いくら岸田さんが嫌いでもね、ちょっと言葉が過ぎるんじゃないのかな、と思うんやけど、どう?」
「・・・そうかなあ」
背中を押されながら、夫はやや弱々しい返事をした。気持ち良いのが半分、後ろめたいのが半分、といった所か。
「私は、そう感じるよ。最近、どうしたん?なんかあったの?」
「・・・うんそやな、あったかも」
夫は観念したように言葉を継いだ。

夫は今年の九月に定年を迎え、今は再雇用の身である。
『仕事は楽しいし、気は楽やし、良い具合や』
と楽しそうに通勤していたから、給料は減っても夫は幸せに仕事をしてくれているんだなあ、と有難く思っていた。
しかし、やはり第一線を退いたという一抹の寂しさはあったようだ。
まして一緒に働く仲間の多くは二十代から三十代。自分は老害になっているのではないだろうか、という思いが時折頭をよぎる。頼りにしてくれるのは有難いが、所詮製造の現場を知っているかどうかだけの話なのではないか。
彼らは皆、社内でも選り抜きの優秀な社員たちだ。出身大学だって、経歴だって、自分が及びもつかないビックリするような人間ばかりだ。その上性格も良いし、良識的な奴ばかりである。話していて気持ち良い。
彼らは一を聞くと瞬時に、十どころか百も千もわかってしまう。だから仕事は今までに比べて、格段にやりやすい。サクサク進む。なのに常にうら寂しい感じが付きまとうのはなぜなのか・・・。
背中を向けたまま、夫はポツポツとそんな話をしてくれた。

夫の同期は様々な道を歩んでいる。
退職して仲間と一緒に会社を興した人。親の介護をする人。病と闘っている人。故郷に帰る人。離婚した人。最近はそう言った報告が多い。
夫のように会社に残る人も、皆寄れば今後の話ばかりになる。
まして給料は今までの三割減。気分も上向かないだろう。
でも息子もあと一年、大学にやらねばならぬ。親のところに通うのもいちいち物入りだ。
やりがいを感じつつ楽しく仕事しているのは本当だが、そればかりでもない・・・。
私は妻として、夫という人を四半世紀の間ずっとそばで見てきた。
天邪鬼だが、実はそんなに強くない。そして人を悪く言うのをとても嫌がる。根っこは優しい、甘えん坊である。
その夫がこんな風に言うなんて。余程堪えているのだろう。

「そうやったんか。そうかもなあ、と思ってたんやけど。言ってくれてありがとう。これからもなんでも話してな。カッコ悪いとか、思うのなしやで」
背中を押しながらそう言うと、夫は
「うん。聞いてくれてありがとう。ネガティブなことばっかり言うてごめんな。わかってるんやけど、口から出てまうねんな」
と呟くように言った。
ちょっと嬉しくなって、背中のツボをぎゅうっと押した。
夫がフーっと気持ち良さそうに、大きく息を吐いた。

お互いこれからも色々あるだろうけど、二人三脚でゆるっと頑張っていこう。
カッコつけるとか、遠慮するとか、お互いなしやで。