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ねぶりーなちやで!

私の父は普段は厳格な怖い人であったが、お酒を飲むと違う人のように明るく陽気な人になった。特に二人の娘たちにはメロメロで、酔っぱらって帰ってきた父と顔を合わせようものなら
「ミツルちゃーん!愛してるよお!」
と抱き寄せられギューッと苦しいくらいハグされ、顔をベロベロと舐めまくられた。酒を飲んだ後の父の唾液はかなり臭く、私達姉妹は悲鳴を上げて逃げ回っていたが、大抵いつもあっという間につかまり父の唾液まみれになっていた。

まだ幼稚園児くらいだった妹は、父に捕まって舐められそうになると
「ねぶりーなちやで!ねぶりーなちやで!」(舐るのなしやで、の意)
と必死で叫んでいた。が、父はそんな事全く気にせず、
「ねぶったる!ねぶったる!」
と私と妹をかわるがわる捕まえては、ベロベロ舐っていた。
洗面所で洗うのを見られるとまた舐りなおし?をされるので、私達姉妹はトイレで用を足すふりをして、上から出てくる水で唾液でパシパシになった頬を洗っていた。そこだけが唯一の父に見られず顔を洗える場所だったからである。

言葉では「やめて!」と言っていたけど、私達を追いかける千鳥足の父と、そんな父を呆れたように笑いながら見守る母と、舐められまいと逃げ回る私達姉妹は何故か全員笑っていた。
父が飲んで帰ってくるのは大抵遅い時間だった。普段「八時にはベッドに入っておけ」と厳しく言い渡されていた私達だったが、こういう時は父はそんな言葉を忘れたかのように、私達を熱烈歓迎?してくれた。私達も舐められるリスク?を冒して、父に「おかえりー」と言いにおそるおそる階下へ降りて行った。
酔っぱらった父から舐られずに無事に自分たちの部屋に戻れる可能性は、殆どなかったというのに。

父はどうして、普段はあんなに怖かったのに、酔っぱらうと人が変わったように娘大好きモード全開の父親になったのだろう。
思うに父は普段、私達姉妹にどうやって愛情を伝えたら良いのか、わからなかったのだと思う。
父自身は父親と早くに死に別れ、母親にはゆっくり可愛がってもらう暇はたっぷりとはなかったはずだ。子供の可愛がり方がわからなくても、無理もないことだ。
娘を”どこに出しても恥ずかしくない女性”にしなければならない、という父なりの厳しい使命感を以て、子育てを楽しむというより緊張感いっぱいでやっていたのだろう。
酒を飲んだ時はそのタガが緩み、本当はこんな風に可愛がってやりたい、こんな風に娘達に接したい、そんな思いが無茶苦茶な強さのハグと酒臭いベロベロになったのではないかと思う。
父の心中を思うと、今でも泣きそうになってしまう。

父は私が高校生の時、肝臓を傷めた。酒が原因ではなかったし完治はしたが、三か月の入院を経て帰ってきた後、父の酒量はぐっと減った。
尤もその頃には私達もすっかり大きくなっていたから、父がねぶることも抱きしめることもなくなっていた。家族は全員が「大人」になり、お互い距離を取り合うようになった。
当たり前のことなのだろうが、あの頃の父の心中にゆっくりと思いを馳せることもないまま、私達娘は結婚し、家を出た。

私が出産した時、父は仕事を理由に母や義両親とは別の機会を作って一人で病院にやってきた。
「お疲れさんやったな」
そういって、照れ臭そうにニヤニヤ笑った。
「お爺ちゃんにだっこしてもらいますか?」
看護師さんが子供を部屋に連れてきてくれた。
「お爺ちゃんなんて、自覚ないんやけどなあ」
父はそういって照れながら、ニコニコ顔の看護師さんから子供を怖そうに受け取った。
抱っこして子供の顔を覗き込んだ父の顔は、今まで私が見たどの顔よりも嬉しそうで、幸せそうだった。もしかしたらこの顔を母や義両親に見られたくなくて、仕事にかこつけて一人で後からやってきたのだろうか、とふと思った。
「お爺ちゃん、お顔がとろけそうですね」
看護師さんが私をみてふふっと笑った。
この時撮った写真の父は、珍しく物凄く目尻を下げている。但し、ちょっと横を向いているけれど。

父と思い出話をすることはない。でも自分も親になり、子供が大きくなるにつれ、父の気持ちが段々わかるようになってきたのかも知れない。
不器用な愛情表現だったけれど、愛されていたんだなあ、としみじみ幸せに思う。