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秋の遠足

今日は私の公休と、夫の有給休暇がうまい具合に重なった。お天気も良いし、行楽シーズンでどこもいっぱいだろうけど、平日なら比較的マシだろうということになり、二人して『秋の遠足』に行くことにした。
関東に引っ越してきて随分になるものの、まだまだ未開発のエリアは多い。加えて私は元来ぐうたら人間で、こういうお出かけの計画を練るのが物凄く苦手で面倒くさい。夫に全ての計画をお任せして、ついて行くことにした。

今までは海なし県に住んでいたので、海沿いのエリアに行くと新鮮な気分になる。観光客は平日にもかかわらずかなり多かったけれど、きっと土日よりはこれでも少ない方なのだろう、などと話しながら海岸べりの公園を散策した。
紅葉には少し早かったようでどこもまだ色づいていない。でもさすがに海からの風は冷たかった。コートの下にカイロを忍ばせ、手袋で完全防備したのは大正解だった。

観光船に乗り、景色を眺めながら『私も変わったもんだなあ』と思った。
以前はこういう『お出かけ』自体が億劫で、嫌いだった。
家でじっとしていたい。外は寒いから嫌。自分の興味が向かないから嫌。歩くのが疲れるから嫌。万事がそういう後ろ向きな感じだった。
夫がどこかに行こうと誘ってくれても、『面倒くさい』『疲れる』と言い訳しては断っていた。休みが重なると『一人でのんびりしたかったのに』と不機嫌にもなった。
勿論それでもいいのだが、何か割り切れない気持ちが残っていた。
『私の本当の気持ち』が『断ること』なのかどうか、の自信がなかった。もっと言えば『誘いを断ることによって、「あなたに同意できません」という自己主張だけをしていた』のかも知れなかった。わかりやすく言えば、オバサンのイヤイヤ期だったのだろう。
今は夫からのこういう誘いを無下に断ることはなくなった。

船から眺める景色は美しかった。夫は喜んであちこちにカメラを向けて、写真を撮りまくっている。
こういう時も『誘っておいて、自分は写真ばっかり撮って。一人で来たって良かったやんか』と拗ねて無口になるのが、私のいつものパターンだった。
今回は夫がどうしていようと、全く関係がなかった。私は私で十分景色を楽しみ、夫との会話を自然に楽しんでいた。
夫に自分の機嫌を取ってもらおうとしなくなった、ということなのだろう。

私がこうなると、夫も変わった。
今日も、
「お前、足疲れてへんけ?どっか座るか?」
と時折訊いてくれたし、
「○○ミュージアム行きたいけど、帰り遅くなるからまた今度にしよか」
と気を配ってくれた。
以前の夫なら、私が疲れて泣きそうになって足を引きずるようにして歩いていようが、帰りが遅くなって夕飯の支度に気を揉もうが、全く我関せずだった。悪気があったわけではないだろうが、そんな夫を私は『なんて思いやりのない人なんだろう』と恨めしく思っていた。
つまり私が夫に凭れかからなくなったら、いつ凭れかかっても良いように、夫が自ら気を付けてくれるようになったのである。

心から楽しんで帰宅の途についた。
帰宅後、二人して「ここはこうだったね」「今度はあそこにも行ってみたいなあ」と話をしながら、コーヒーを飲んだ。おやつのどら焼きは半分こ。どっちが大きい、小さいで揉めるのはいつものことだ。
夕飯の支度は、昨日のうちにほぼ済ませてある。あとはちょっと手を加えれば終わり。帰宅後の自分を楽にさせる為のこういう準備をする時も
『明日はお昼に○○を食べてみたいな。こんなお土産あるかな』
と楽しみにしながら、面倒がらずに出来た。
以前の自分とは別人である。

こういう風に、極めて自然に相手を思いやれる関係になると、お互いに居心地が良い。
『無理に相手に合わせている』という感覚は非常によろしくない。自分を無意識に曲げているからである。
能動的に自分がやりたいことは何なのか、深く深く掘り下げて考えるようにする。急いで結論を出そうとしない。ネガティブな感情が起こったら、それは自分の『本心』からの『大事なお知らせ』だから、自分の望むところを見つけるべく、更に掘り下げて考える。
その結果、今までの私は何がしたかったわけでもなく、『夫の計画につきあう事に反抗したかった』だけだった、ということがわかった。そして本当は夫と仲良く、円満に過ごしたいと思っており、自分の身体に無理のないスケジュールなら付き合うのも面白いな、と思っていた。
夫の提案に全く興味が湧かない訳ではなかった。だから一緒に行った。そしたら楽しかった。夫も自分を蔑ろになんてしていなかった、そんな当たり前のことが今更嬉しかった。
夫婦の仲をこねくり回して、難しいものにしていたのは結局私だったのである。

さあ、夕飯の支度をするとするか。
今日見た景色の話をしながら、ちょっと晩酌しようよ、と言ってみよう。
この地での楽しい思い出がまた一つ増えた。
今夜は幸せな気持ちで眠りに就けそうである。