血に弱い
ウチの夫は血に弱い。ちょっと蚊に刺されたところをかきむしって血が出たくらいで、「血だ、血が出た」と大袈裟に騒いでいちいち見せに来る。子供じゃあるまいし、そんなものちょっと指をなめて唾をつけておいたらおしまいだろうと思うが、やれ絆創膏はどこだだの、薬を塗るからよこせだの、いちいち手間がかかる。そしてかさぶたが出来るまで毎日のように、「今日はこんな具合まで治ってきた」と傷を見せて解説してくれる。付き合うのが正直とても面倒くさい。
私の中でそれくらいの血は「血」のうちに入らない。今でこそ卒業したけれど、女は毎月それどころではない出血を経験する。蚊に刺されたくらいでビビっていたら、毎月大惨事だ。出産時の出血なんて見たら気を失うだろう。尤も、立ち合い出産で気分が悪くなるお父さんもいらっしゃるようだから、そういう男性は多いのかも知れない。
かくいう夫も出産の立ち合いを希望した。ウチの子はうまい具合に金曜日の夜から「そろそろ行きまっせ」とお知らせしてくれ、日付が土曜日になって間もなくお越しになったので、土日休みの夫は仕事を中断して駆けつける必要なく、自宅からすんなりと立会することが出来た。
お産の時、私の血液が足りなくなるんじゃないか、と夫は気が気でなかったらしい。こっちは無我夢中なので自分の出血度合いなんて全くわからないのだが、真剣に輸血しなくて良いのだろうか、と心配していたようだ。
実際の出血量は母子手帳に記された数字に「中量」とあるので、少なくはないが多くもなかったようである。だが夫はずっとハラハラしていた、と言っていた。二十年以上経った今でも、あのままお前は死ぬんとちゃうかと思った、という。
自分の出産を客観的に見ていないので何とも言えないが、夫は相当怖かったようだ。
男はみんなそうなのか、と思うがうちの父は血を見ても平気である。
子供の頃、妹が公園のブランコの鎖に指を挟んで親指の皮がズルンと剥けたことがあった。母はそのエグイ生傷を見て貧血を起こしたが、父は至って冷静で、消毒したハサミで綺麗にぶら下がった皮を切断し、膿まないように丁寧に処置を行った。
田舎育ちだった父は、お祝い事があると鶏をしめ、ウサギを屠った、と言っていた。血抜きをちゃんとせねば食べられないから、その度に当然のように大量の血を目にしていたに違いない。そんな父にとって、子供の親指の皮が剥けたくらい、どうって事はなかったのだろう。
同じく田舎出身の舅も、多少の血ではガタガタ言わない。父と同じように鶏をしめた経験が何度もある、と言っていた。絆創膏も貼らない方が早く治る、という人だ。
育った時代が違うとはいえ、親子でこうも違うのは面白い。
若い頃、スペインを旅行した時に夫と闘牛を観た。闘牛士が牛に剣を突きさすと、ダラダラと血が流れる。観ていて決して良い気分ではなかったが、私はどちらかと言うとその流血よりも、周りのスペイン人の吸う葉巻の煙の方が気になった。
夫は血を流しながら闘牛士に抵抗する牛が気の毒だったようである。
「むごいなあ。あの血を見て、テールスープ飲みたいとは思わんなあ」
と眉をしかめていた。
闘牛場の周りには、いくつか「テールスープ」をメニューに掲げている店があった。私は食べてみたかったが、夫は食欲も減退したようだった。
未だに一人でトライしてみても良かったな、と後悔している。
血に対する抵抗感の違いはどこから来るのだろう。
姑も田舎育ちで、鶏の血抜きはやったことがある、と言っていた。しかしその後の鶏鍋が楽しみだった、と言っていたから血を見ても食欲は減退しなかったようだ。私も姑と同類だと思う。
どんな機会に血を目にするか、という事にもよるし、どれくらいの量なのかも影響するだろう。性別はあまり関係ないようだ。積極的に目にしたいとは思わないが、夫のように命にかかわらない程度の小さな出血で騒ぐのは、みっともないような気がする。
献血は大好きで定期的に行くことにしている夫。勿論針を刺した跡もいつも見せてくれる。今日の人は上手だったから血があまり出なかったとか、下手だったから出たとかの解説付きである。その度にそれくらいどうってことないから、いちいち報告要らないよ、という言葉をいつも飲み込んでいる。
気分は母親である。