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今年の目標「自然農法」

大学生の頃、友人に薦められた本があった。

「奇跡のリンゴ」という無肥料、無農薬の林檎に挑戦した人の話。

なぜか大学生の時は読む気になれなくて、買うだけ買って本棚にしまってあった。

友人、すまない笑

そして去年、たまたま見ていたYouTubeに木村秋則さんが出てきた。

「そういえば、この人の本持ってるわ」

このタイミングで読むことになった。

読み始めると面白すぎて、もうそれは夢中になって読んだ。

木村秋則さんの人生を綴っていて、
「奇跡のりんご」を作ろうと思ったきっかけや苦労などがストーリーになっていて読みやすかった。

農業のことばっかり書いてあるのかと思ったら、
哲学も織り交ざっていて、思想や信条などにものすごく共感できた。

本の中に、木村秋則さんに大きな影響を与えた本と人物が書かれていた。

「何もやらない、農薬も肥料も何も使わない農業」

福岡正信さんの「自然農法」

偶然出会ったこの本、何回読んだかわからない、紙が擦り切れるまで読んだそう。

木村さんはこの本との出会いがなければ、無肥料、無農薬でリンゴを作ろうなんて考えもしなかったと言っている。


「奇跡のりんご」を読み終えた次の日、図書館に向かった。

パソコンで福岡正信と検索し、ヒットした本をほぼ全て借りた。

(世界20カ国で翻訳された本)

貪るように読み始め、木村さんと同じように、福岡さんの思想や生き様にどハマりした。

「無為自然」
人智人為は一切が無駄であると説く。

彼が目指したのは、何もしない農業だ。

人間の知恵や営みが無駄であるということを、農業という彼自身が最も深く理解していたフィールドで証明しようとしたのだ。

自然はそれ自体で完結したシステムだ。

人が手助けなどしなくても、草木は葉を繁らせ、花を咲かせ、種を実らせる。
そのシステムに手を加え、人間に都合の良い結果を得ようとする人の営みが、つまり「農業」というものだと福岡は言う。

肥料を与えれば、より大きな実をつける。害虫を殺せば、よりたくさんの作物が収穫できる。

人間はたとえばそういう風に考える。
そして肥料の与え方に工夫を凝らし、害虫駆除の方法を発達させてきた。

その積み重ねの結果として、農作物は自然の産物というよりも、
ある種の石油製品になってしまった。

現代の農業は、大量の化学肥料や農薬を投入し、農業機械を使わなければ成り立たなくなっている。化学燃料が枯渇したら、一体どうなるだろう。

それは人間の知恵や営みが、単に無駄であるというだけでなく、有害なものですらあることの、きわめて明白な実例であると福岡は考えたのだ。

奇跡のりんごより

明日のことを思い煩うのも、生に執着するのも、
つまりは、人の知恵の働きだ。

その知恵を働かせて、人は欲望を叶えようとする。

けれど欲望には切りがない。

ひとつの欲望をかなえれば、次の欲望が生まれる。
その繰り返しの中で、人は文明を発展させてきた。

つまり、文明の歴史とは、人類の欲望の肥大化の歴史でもある。

釈迦やキリスト、聖者たちはどう説いていたか。

欲望をかなえて人を幸せにするのが文明の方向性であるとするなら、人を幸せにする正反対の方向がある。

それは、文明を否定して、自然のままに生きること。

釈迦が言ったように、欲望などいうものは幻に過ぎないということを知ることであり、

キリストの説くように、明日を思い煩うのではなく、今という瞬間を、何者かに感謝して生きることだ。


欲望を満たす方向ではなく、自らを自然の一部であると自覚し、自然のままに生きることを説いている。


これまで欲望を満たして生きてきたので、エゴがうるさいけれど、

どうも、こっちの方向があるべき姿に思えてならない。

そして、こっちの道に惹かれてしまう、、

もう、やるべきタイミングがきている。そんな気がする。

「自然農法」

これが、これから先の未来の農法であり、希望

根本の衣食住を見直し、人間の生き方を見直す時。


今、都内からの移住を計画している。

自然農法の理解を深め、実践できるように。

自然農法に共感できる仲間がいれば、なお良い。

そして今年中に、自然農法を実際に行う。


感謝。