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「不食」で気づいた本質について

人間とは、なんのために生きるのか。
人間とは何か。
宇宙とは、人生とは、

そんな疑問から始まった自己探究。

その中であらゆる偉人や覚者と言われる人たちが
「食」や「体」について様々なことを言っていた。

やってみなきゃわからない。
やってみたら何か分かるかもしれない。分からないかもしれない。

ならやってみよう。と色々始めた。

2年ほど菜食、ベジタリアン、ヴィーガン、粗食など色々やった。

その中で感じたこと、分かったこと、メリット、デメリットが多くあった。

最終的に辿り着いたのは、

’’なぜ、こんなにも「食」について思い煩わなければならないのか’’

’’何を食べるかの前に「なぜ人間は食べるのか」という根本的問題’’

そして「不食者」という存在に出会う。

食べ物を摂取しないで生きている人がいる。

人は食べなくても生きられる。

食べても食べなくてもどちらでもいいというお気楽なスタイル。

以下、お気楽不食者CHIKOTOさんの文章をお借りします。

不食者の定義とは

今では不食(者)と言う言葉が一人歩きをして
「なにも食べない人」という間違った認識の方が多いように感じます。
この不食という言葉を創った山田さんの定義はこうです。

【不食者の定義】
不食で一番大切なのは形ではなく意識。
食べ物や水もまったく摂らない人から
水だけ飲む人
森美智代さんのように青汁一杯の人
果物だけの人
不食と微食を繰り返している人
現在不食で無くても不食を目指している少食者
不食の意識を理解できる人※意識とは「人は食べなくても生きられる」という意識
定期的に断食を行っている人

これらの人は不食者のグループに入ります。

食べない人たちビヨンドP141山田鷹夫さん/著


不食を知って、少し本質のようなものに触れた気がする。

キリストは言った。
「人はパンのみにて生くるものにあらず」

人は物質的な目的だけで生きているのではないという意味もあるが、

不食を知って、
「人は食べなくても生きられる」=「人は生かされている」

この一言に辿り着いた。

自分が食べて生きていると思い込んで生きてきた。

実際はそうじゃなくて、生かしてもらっているだなと。

心臓一つ自分では動かせない。
細胞一つ自分では治すことができない。
身体の内側のことは何もすることができない。


別の言い方をすれば、「何か偉大なものが生きている」とも言える。

そこに私という(自我)が生まれた。

私が生きている、私がやっていると。

、、、あれ?
私ってこの身体じゃないんじゃない??

ってことは、食べてるのは??
誰rええええええええええええええええええwwwww

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