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紙一重で存続する普通の暮らし|秋葉古道の旅#2

庭を通る道 (1)_1

秋葉古道はしばしば人家の庭を通る。その多くが廃屋である一方、少数ながら今も暮らしがある。

国道152号と重なる区間も多い秋葉古道であるが、静岡県・旧佐久間町付近では大きく東に外れている。天竜川から300mほど上部を通る道は、その多くが登山道である一方、時折集落に合流する。そこに広がる景観は、天空の里として有名な飯田市下栗と見紛うほどの高度感だ。

浜松市旧佐久間町付近_1

ある冬の日の朝、私はそこにいた。地形図によれば、丁度その付近で車道が終わっている。確かに、道のどん詰まりには人家が見えるのみで、先へと続く道は見当たらない。そこへタイミング良くご婦人が現れた。竹箒を片手に持っている。聞くと、「秋葉古道ならウチの庭を通ればいいですよ」と言う。実際に歩くと分かるが、厳密には”庭を通るしかない”のである。

茶畑の向こうから近づいてくるリュックを背負った無精髭の男にも無警戒な様子は、なるほど古道歩きのハイカーに慣れているからであった。5年程前までは道行くハイカーも多かったそう。多くが中年ハイカーだったが、袴姿?で諏訪大社を目指す若い男女のグループは少し異様だったと述懐していた。

道は縁側の真ん前を通り、家の中は丸見えである。その時は気まずい思いで速やかに通り過ぎたものの、整然としている庭に驚いた。先ほど手にしていた竹箒からも、まめな生活ぶりが伺える。人家の疎らな山里の独り暮らしにおいて、生活に張りを保つ秘訣は何なのだろう。入院しているという旦那さんの帰りを、いつでも迎えられるためなのだろうか?

山に溶け行く通学路(旧佐久間町付近) (1)_1

今は物好きのハイカーしか歩かない古道も、数十年前までは生活道路だった。というのも、ご婦人の息子さんもこの道を通って毎日小学校へ通っていたそう。山道で通学と聞くと発展途上国か大昔の話のように感じるが、そんなこともないらしい。小学校は1995年に廃校になったが、もしかするとその頃までは山道を歩いて登下校する小学生がいたのかもしれない。そう想像すると、便利になった現代にどこか寒々としたものを感じてしまうが、それは身勝手な話だろう。

秋葉古道沿いには集落が点在するが、有人・無人の集落が半々ぐらいの印象だ。中央構造線と重なる地域は特に岩盤が脆く、土砂災害の危険と隣り合わせで暮らしている。50年以上前に廃集落になったところもあれば、最近では2020年に道が流され、生活の場を追われてしまったであろう人家もあった。今でも辛うじて残る集落との明暗を分ける差は紙一重だ。

そんな現実を目の当たりにしながら古道を歩くと、切ない思いに駆られることがある。なんでもない生活を営むことすら許されない厳しい自然の中では、普通に生活を維持し続けることすら難儀に違いない。
一方で、だからこそ山村の住人は懸命に生きるのが普通であり、その普通の姿に張りを感じるのかもしれない。そんな普通の生活は、今のうちに目に焼き付けておくべき風景だと思う。

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