新しい座右の銘を決めた

最近、インフルエンザにかかってしまいまして約一週間ほど床に臥せておりました。高熱にうなされるのに合わせて、ぼんやりしながらいろいろと考えている中で、自分自身の人生のフェーズが変化してきているなぁと感じるとともに、人生の指針とするべき言葉、座右の銘を追加する必要があるなぁと考えていました。今日はその話。

現在、私が置いてる座右の銘はフランスのモラリスト、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー が残したと言われる以下の言葉で、18歳くらいの頃に書籍で出会ってからというもの、ことある苦しい瞬間に助けてもらっています。

自分を欺く賛辞よりも自分のためになる非難を喜ぶほど賢明な人は、めったにいない。

あまり他の人から褒められるのが好きでない私の気質にとても合っているし、さらには自分が弱くなってしまったシチュエーションでどうしても易きに流れてしまいそうな時も、「本当にそれは自分のためになっているのか?」と問い直すきっかけをくれる言葉な点が気に入っています。

どんなに人から厳しく叱責されていても、それが自分のためになるのであれば言い方など細かいことに囚われず、喜んで甘んじて受け入れよう!、そんな気持ちで、まるで火中に飛び込むような気持ちを自分の中に作ってくれていました。自分が信じている言葉さえ守れなければ、守れるものなんてなんもないぞ、と言い聞かせながら。


「常に慎ましくあれ」と言われているようでもあり、「襟を正せよ」と言われているようでもある。厳しくも優しく自分の成長のためになるこの言葉を大切にしてきて、約10年。ある程度は、この言葉自体が自分の血肉になってきた感覚があり、自分の大切な価値観を表現する新しい言葉を探していました。

そんな最近、ふとしたタイミングで「人間は二度死ぬ。肉体が滅びたときと、人々に忘れ去られたとき」という言葉と出会いました。出典は正確な情報が見つからず結局わからずじまいですが、自分の人生観ととても近く、共鳴して鳴り止まない感覚がありました。この言葉も大切にして生きたいなぁと。

死生観、といえば難しいけれど、死というものはずっと意識して生きている私にとって、生きている時間の中でどれだけの成果を残せるかが本当に重要なんです。社会的なものかどうかは正直どちらでもよく、あらゆる側面で常に「誰かの記憶に残りたい」という気持ちを持っています。

この気持ちに理由なんてものはなくて、昔や歴史が好きだったことやすでになくなってしまったアーティストの曲が好きだったりとか、そんなことが積み重なって形成された価値観です。中学生の時に私は自分の人生設計を考えて、それ通りにできる限り生きているのですが、その時でさえも終わりは50歳で設定していました。人生が早く終わってしまっても後悔しないように。

もうすでにこの世にいない人たちが実現しようとして駆け巡った時間に思いを馳せて、その人たちのように振る舞うことで、私自身は物質的な意味でその人たちでないとしても、思いの続きに何かを残すこともできるかもしれないなと。多分、人類の歴史というものはそんなふうに出来上がってきたんだと思うんですよね。ブランドなんてまさにそうで、考えを将来に残すための仕組みであると感じます。

ある種、狂気じみてるかもしれないですが、でも、私が物質的に死んでしまったらもう自らの手で成果を残すことはできないなと。それくらい現世での成果というのは賞味期限が短いのだなと。私としては、例えば100年以上残る思考を残したいと考えても、私は事実100年生きれるかわからないわけで、死後に託さないといけないわけです。年齢を重ねれば重ねるほど思うし、一度目の死に対する切迫感ばかりが自分の中に積み重なっていく感覚が増していきます。ふとそれをメタ認知して、「ああ、これが自然な私なんだな」と思うわけです。

多分、私が生きているうちには、一度目の死までのリミットは長くなっても10年程度が関の山だと思うんです。だから最近の私は、自分の人生にはリミットがあることを前提に、仮にリミットがとても早期に来るとしても、二度目の死がずっと先になるように、一度目の死までをデザインするような生き方をしています。そうすれば、全体で見た私の人生はきっと一度目の人生を長くするだけよりも長くなったと言えるだろうから。

と考えると途端に面白いと感じるようになってきませんか?自分がなくなってしまった後のために、今を生きるわけで生きている意味なんてのも容易に説明がつくようになるんです。自分がそこにいた証明をどこかに残すでもいいし、自分が作り出したものが将来に残るでもいいし、それをもっとずっと長いタイムラインで実現していくために現世を生きる、というそんな生き方をしてみたいなと。そのために、私は新しい座右の銘を加えようと思います。

人間は二度死ぬ。肉体が滅びたときと、人々に忘れ去られたとき

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