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「最悪、私がなんとかしよう」と「人を頼ろう、任せよう」のシーソーゲーム

「最後、私が何とかしよう」という気持ちを私は持とうと思っている。今も持てているかわからないけれど、最後まで諦めずなんとかする気持ちを持つ、その姿勢は止めないようにしたいと思っている。

一方で、「人を頼ろう、任せよう」と思う気持ちも持つようにしている。自分がなんでもできるという全能感に悦に浸っているんじゃなくて、周りを頼っていろんな人にやりたいことをやってもらって、自分もやりたいことをやるために必要な考え方だと思っているからだ。

「最悪、私がなんとかしよう」と「人を頼ろう、任せよう」を共存させるのはとても難しい。片方は自己の能力に依存した考え方で、もう片方は他者の能力に依存した考え方であるから。

「じゃあ、どちらかに寄せたり、捨てるのか」と言われると、「それはやりたくない」と答える。自分の力しか信じないようになると独善的だし、他人の力ばかり頼っていると依存度が高いしで、どちらもそれなりにデメリットがあるし、何よりこの問い自体、二者択一で答えるべきものではないと思うからだ。

組織の都合で個人が犠牲にならないようにしたい。
できる限り、個人と組織の都合を折り合わせてバランスを取りたい。

これは、私の知人が言っていたセリフだが、この価値観に私はとても共感している。自分が人を管理する立場になっても、組織のことばかりいうのではなく、その人たちの生活に対する配慮も忘れないようにしないといけないなと強く思う。

「最悪、私がなんとかしよう」と「人を頼ろう、任せよう」の両立を考える時、自分の中の気持ちの持ち方も難しいし、さらには自分が周りの人に発するメッセージを考えるのも難しい。

例えば、「最悪、私がなんとかしよう」が強く出過ぎると、「君たちは特にいらないから。いうこと聞いてくれたらいい」というメッセージにも捉えられかねないし、それは最終的に人々のクリエイティビティを奪ってしまうことになりかねない。

一方で、周りに助けを求めすぎると「自分でやれよ、何もできないのかよ」という不満がたまるきっかけにもなりかねない。独立した個人がともに働いている以上、お互いに対する尊敬は重要だし、相手の時間を必要以上に奪わない配慮もあって然るべきだろうと思う。

なんにせよ、「最悪、私がなんとかしよう」と「人を頼ろう、任せよう」をバランス取るのが重要なのは事実だ。そして、私がこれからも自分のバランス感覚を模索していくことも、また...。

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