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普通になれないなら...
どうしようもなく『普通になりたい』と思っていたことがあった。
普通になりたいなんて書くと、「なんだ自分は特別だと思っているのか」と嫌なことを言ってくる人がいるのだけど、そういうことじゃない。なんとなく、他の人と馴染めない時があったり、自分が斜に構えていたり、一緒に楽しめなかったり、そんな時に「俺も普通になれたらいいのになあ」なんて思う。
友達付き合いは得意でもないが、苦手でもなく、人の輪には入れるが、それほど楽しめないタイプ。昔の私はそんな感じだった。学校の帰り道や、通勤の電車、カフェでゆっくりしてる時など、周りをよく見渡すと友達と楽しそうにしている人たちがいて、羨ましくもあり、俺にはできないなと思う悔しさもある。そして、1人で何かしている時間にも満足しているという矛盾も孕んでいる。
学生時代のような若い時ほど、みんなと同じでありたい、横並びでいたいという気持ちは芽生えやすいのかもしれない。私もそうだったのだろう。でも、合わせようとしてもチグハグでうまくいかない。下手に横並びになろうとするから、チグハグさが余計目立って「変な人」扱いされることはあったと思う。そしてまたへこむ。
あ、別にいじめられていたとかじゃないのだけど、なんとなく他の人と同じにはなれないんだな、と思っていた。他の多くの人が当たり前にやっていることを、私がやるのは難しいという現実に打ちひしがれたこともあった。友達となんとなく仲良くするとか、他愛もない話でひたすら時間を使うとか、そういうことは私にはできなかった。
「もう変な人でいいや」と諦めた時、少し楽になったと思う。当たり障りのない普通でいること、それは楽だけど、自分にとっては義務だったのだろうと思う。なろうと思ってなれなかったから、私は早々に諦めがついたけれど、普通になれてしまったら多分もっと辛かったのかもしれないなとも思う。
もしどこかで、他人と同じでいることに疲れた人がいたら、変でもいいんだよと言ってあげたい。
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