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不協和音

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エンジニアとライターが始めた共同執筆プロジェクトです。エッセイを軸に、自分の感じたこと、考えたことを発信したり、同じテーマで互いに呼応したりする作品を作っています。
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#人生

時間感覚を考えることで、人生をどのように消費するかを考える話

自分の時間感覚が変化するといつも、私は人生の短さを考えてしまう。昔は1日が暇で仕方なかったのに、ある時から1週間があっという間に過ぎるようになり、気づけば1ヶ月も、1年もあっという間に過ぎ去っていくようになっている。私の感覚では、もうすでに1年は長くはなく、あっという間に過ぎ去るものになってしまっている。 歳をとったことも影響しているのかもしれない。改めて、自分の早まってしまった時間感覚と向き合うと「ああ、よそ見してると、瞬く間に自分の人生が過ぎ去っていきそうだな」と思う。

「私は最後、どのような人でありたいだろう」と考えることが、「私は今どうあるべきか」を決める

昔、友人が教えてくれたある言葉が好きで、ずっと覚えている。 私はある時から、死生観を持つようになり、その折りに友人が喋っていたからなおのこと覚えているのかもしれない。その友人は、思春期の真っ只中の多感な時期に父親を亡くし、母と一緒に生活している気が強い、やんちゃな青年だった。彼からは、そんな大変な経験をしたなんて全く感じられないくらいに、いつも明るくて陽気で、ちょっとキザなそんないいやつだった。 最後に残るのは、「私がどのような人間であったか」であり、「私が何をしてきたか

今と未来のバランス感覚

と私は言った。私の目の前には、もう還暦を超えて仕事を引退したおじさんに。彼は、私と同じ出身地の大先輩。田町の地下にある、昔ながらといえば聞こえはいいが、少し古びた蕎麦屋で、日本酒を二人で飲みながら。 と彼は言った。私とは30近く離れているのに、同郷というのは不思議で距離感がない。初対面なのに、地元のお店の話や人の話をしているだけで、人生のバックグランドを共有できたような錯覚に陥ってしまう。 人生の刹那的な瞬間に違和感を感じるようになったのはいつからだろう、とふと考える。少