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西洋美術雑感 24:ミケランジェロ「ピエタ」

バチカンのサン・ピエトロ寺院にあるミケランジェロの彫刻「ピエタ」である。これは恐らく西洋美術における彫刻の頂点として永遠に残る作品であろう。
 
これまで、自分は最盛期ルネサンスが苦手だとずっと言ってきたが、それは、その理知的で開放的、完全にコントロールされた表現の調和、したがって健康的で明るい、という性質が自分の好みに合わないからであった。試しにその反対の要素を並べてみると分かるかもしれない。感覚的で、時に内向的、なにかに異様に執着して誇張されたいびつな表現の不調和、したがって時に病的で暗い。こうして書くと惨憺たるものだが、実際、これまでもいくつか見て来た北方ルネサンスの作品にはそういうものが多数みられるし、イタリアであってもルネサンス前期の数々の作品や、それどころか、ルネサンス盛期が過ぎてマニエリスムやバロックの時代になると、またそういう方向性が現れるのである。
 
そうしてみると、あのルネサンス全盛期の八十年足らずの期間は、むしろ特殊な感覚に支配された時代だった、と言っても、ひょっとしておかしくはないのかもしれない。人間が若さと健康と希望にはちきれんばかりの期間というのは思いのほか短い、ということを連想させもする。
 
さて、そんなルネサンスだが、実は、僕には、ルネサンスは絵画より彫刻の方がずっと分かりやすい。絵画では美しさに圧倒されるだけだったり、それゆえに食傷してしまったりするところ、彫刻であれば、その健康的なリアリズムは素直に胸を打つ。
 
このサン・ピエトロ寺院のピエタは、なんと彼が25歳の若さのときの作品だというのだから驚く。もう、こんな、真に完璧で、ほんのかすかな間違いすらなく、全き神々しさをその全体から永遠に発散し続けているような、ものすごい石彫の奇跡を、そんな若くに作ってその後なにかすることがあるだろうか、と思ってしまうほどだ。しかしそのミケランジェロは、なんと88歳の老齢まで生き、死ぬ直前まで製作を続けていたというのも、別の驚きである。
 
ミケランジェロのピエタは、このバチカンのものをはじめとして4点残っていると言われていて、その88歳で死ぬ直前まで鑿をふるっていた石が、同じ主題のピエタだった、というのだから、なんらかの因縁を感じる。最後の作はロンダニーニのピエタと呼ばれ、未完である。しかもそれは、25歳のときに作られた神々しいまでのリアリズムを持った彫刻からは想像もできないほど、弱々しく、アンバランスな、しかしそれゆえなのか、しっとりとした優しさや、それとともに、この後どうなるか分からない不安のような感じを持っている。
 
これを、八十を過ぎ、腰が曲がったままで、目もほとんど見えなかったと言われるミケランジェロの老いのせいにしても不当とは思わない。しかし、老い、と言ってしまうと、若い、と対になるだけで、どうしても生物的に劣るという概念を連想するが、そう捉えるのではなく、人は生まれて、若い時代を経て、壮年、中年ののちに老いて死ぬわけだが、その諸相をそのまま表している、とだけ言えばいいように思う。要は、サン・ピエトロのピエタと、ロンダニーニのピエタは、ミケランジェロその人の、25歳のときと88歳のときの、その顔、そのものではあるまいか。
 
僕はサン・ピエトロのピエタは実際に見たが、まばゆいばかりの完全さは、近寄りがたいエネルギーを発していて、「ここに在り」という言葉を外に向けて発して永遠に完結しているように思えた。対して、ロンダニーニのピエタは、残念ながら本物は見たことがなく写真だけなのだが、なにか、無名で、はかなく、逆に、永遠に完結しない不定な可能性を内に向けて発し続けているように見える。ミラノへ行って、実際に、見てみたいものだ。

Michelangelo, "Pietà", 1498–1499, Marble, St. Peter's Basilica, Vatican City


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