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西洋美術雑感 2:フランシスコ・ゴヤ「気まぐれ」

スペインの画家のゴヤが好きで好きでたまらない。

有名な連作版画の「気まぐれ」の中で好きなもののひとつがこれ「なぜそれを隠すのだ」というやつ。ほんとうに見飽きない。

この同心円の大雑把に引かれた線、不気味な笑い顔、醜い老人の顔、笑いと悲嘆の対照、なにもかもいい。何を笑っているかなんて、そんなのどうでもいい。

とはいえ、自分の脳はもちろん絵に描かれたモノを見ることで、ほぼ自動的に動く。老人(聖職者?)の持っているのは睾丸だろうな、中に入ってるのは金なのか? そりゃ、笑うわな。一生をかけてなにを後生大事に隠しているのだ老人よ、あんたの守ったその金はいまじゃ、あんた、ただの石ころだよ、みたいな意味の想像が勝手に脳に広がる。

で、そういう意味に関する想像は、大脳の表面あたりに置いて、打ちやって、それに視覚が妨害されないように注意して、というかそれを視覚に繰り入れるように努めて、あとはひたすら目だけを使って、言葉を排除して見ていると、やはり絵の「意味」というのは、この絵の魅力のほんのわずかなのは間違いなく思える。

この笑いが、なにかあり得ないほど不気味で、純粋で、なんの意味もない笑いに思えて来る。同じく老人の悲哀も。そうすると、心が昇天したような感じになる。こういうのはなにものにも代えがたい。これは、麻薬だね。

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Francisco Goya, "Los caprichos: No. 30 Porque esconderlos?", 1797–1798, Etching and aquatint, Prado Museum (Madrid, Spain)

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