足立区の巨大工場を2日間で退職した話【下】
今日は「御祈祷」があるらしい。
9時半から、工場の隅に建てられた鳥居にて安全祈願をするとのことで、それまでの時間は当然のようにスマホタイム。
重苦しい空気から逃れようと、こちらから当たり障りのない質問をするが、質問は会話にはならず、ひと言ふた言で終わる。
それでも時折、メンバー同士の他愛もない会話は見られ、昨日の沈黙バトルからは脱せた気がしていた。
9時半。
鳥居の元に、我々ダスト班含め、巨大工場で働く50~60名ほどの作業員(巨大さの割に人数は少なく感じた)が集合。
神主さんによるご祈祷の後、紅白まんじゅうが配られ滞りなく終了。
ひと休みの後、作業開始。
互い違いに10台ほど並んだ鉄を加工する機械の脇に溜まったヘドロを高圧洗浄機で流す作業。
班長がホースを操り、その他のメンバーは時折出てくる針金や金属片などを取り除いたり、テレビカメラのアシスタントのようにホースをさばく。
昨日の作業による筋肉痛で、ガッチゴッチのポンコツロボットのような動きしかできない体にはありがたい楽な作業で午前中の任務を(11時に)終えた。
午後には2種類の作業があり、そのひとつの「煤(すす)取り」がこの仕事の中で最もキツい作業らしい。
実はこれを小耳にはさんでいたことが、初日に芽生えた「一日では辞めない」という決意の理由である。
最もキツい作業を乗り越えられるかどうか、自分を試したかった。
どうなるにせよ、その経験をした上で判断したかったのである。
熱い想いを胸に、紅まんじゅうを頬張りながらスマホをいじっていると、「今日は煤取りはやらない」と班長。
他の作業との兼ね合いのようだ。
「今日で辞めよう」
心身ともにギリギリの状態でスマホをいじる私の中で、何かが弾けた。
最もキツい作業がなくなり、次に班長が黒タオルを巻き出したのは午後4時。
私の最後の作業は、工場の屋上からの電球の清掃と球切れチェックだ。
特殊な電球で、交換があるとかなりの手間と時間を要するとのこと。
だが幸い球切れはなかった。
辞めるにあたって自分に課したことがある。
この二日間苦楽をともにしたメンバーに、自分の口から辞めると伝えること。
足を引っ張るだけになったことを詫びたい。
それよりなにより、自分の歴史に「40歳でバックレ」という一行を刻むのがたまらなくイヤだった。
スマホをいじりながら、頭を空っぽにして白まんじゅうを食べ終えると同時に、終業のチャイムが鳴った。
若手ABは、間髪入れずお風呂に向かう。
できれば全員揃った状況で伝えたかったが仕方がない。
帰り支度を始める班長と副班長に声をかけ、自分には務まりそうもない旨と、今日で辞めさせてほしいという希望を伝えた。
「分かりました。本部の○○さんにも伝えて下さい」
事務的なセリフではあったが、最後に初めて班長の言葉に温度を感じながら、休憩室の扉を閉めた。
ロッカー室で一人着替えていると、お風呂用具の忘れ物を取りに、上半身裸の若手ABが入ってきた。
日々の労働のみで鍛え上げられた本物の筋肉が揺れる。
後にも先にもこれほどまでにナチュラルな筋肉美を見たことがない。
ともかく、二人にも自分の不甲斐なさを詫び、今日で辞めることを伝えた。
なんとなく感じていたようだ。
私 「こんな風に辞める人いました?」
若手A「言って辞める人なんてほとんどいませんよ」
若手B「最短は初日の午前中でバックレ(笑)」
なるほど、入ってくる度数日で辞めていく人間の相手を繰り返した末の、無言スマホタイムということか。
今日から使うつもりで買っておいたシャンプーリンスとボディソープを、よければと二人に手渡し、私はなぜだかやけに気分よく工場を後にした。
儚い二日間の物語が終わる。
足立区の夜空にそびえる巨大な工場の壁に、頼りない影がひとつ伸びていた。