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46歳からの読書【賢者の誘惑】

賢者の誘惑 呉智英

本書は1995年にまとめられた物を文庫化したもので、雑誌掲載時を考えればさらに時代を遡り、1983年ころの物もあるので、内容的には40年近くの前の物で、時事ネタが少ないとは言え、古臭さを感じずにはいられない。

架空の賢者との問答集という体裁で始まる。
テーマを教養でこねくり回して極論を用いて不謹慎に落とすというネタ的で、時事ネタもあるので、今となってはさほど面白いモノではない。ただ基本的な呉智英氏のスタンスがよく分かる内容になっている。本書に通底することなのだが、不謹慎を楽しむブラックユーモアにあふれている。いまの世の中では批判されて発刊できないのではと懸念するレベルだろう。

差別問題や言葉狩りは表層的な批判で、物事の本質や現実を無視していると警鐘を鳴らしているのである。どうもこれがこの本に通底するテーマであるようだ。
物事を根本を踏まえて考えれば、差別や不謹慎は本来、問題ではないという姿勢。残念ながら現在が当時から警鐘を鳴らしていた通りになっているという皮肉である。

いまのお笑いで、EXITという芸人がいるけど、彼らは誰も傷つけないお笑いと言ってるんだけど、ハゲとかデブ、容姿で笑いを取らないって言ってるんだけど、本人らはパリピ漫才と称してパリピ弄りをしてる。パリピがそれを問題視するとは思えないし本人らが望んでパリピなんたから差別だなんて思わないけど、EXITが特定の人たちの容姿や所作をイジってバカにしてるが、実に無自覚にイジっていることが問題なんだ。

共産主義についても書かれていて、世界で共産主義が終焉を迎えたというのは間違いだという。
よくある日共がソ共と袂と分ったといえ、同根である以上、別とはならない。日共は消えゆく共産主義である。
というのではなく突き詰めていけば、共産主義は純粋な民主主義であり、人権主義などに変遷しつつ西へと伝わり、アメリカに至る。民主主義、人権主義という病として世界を今も蝕んでいるという。

なるほど、東側諸国の崩壊から三十年、民主主義や人権主義は社会を蝕み続けた。方や共産国家瓦解の後に生まれた独裁体制は専制的に民主主義と人権主義を蔑ろにしつつ経済発展を続け、再び力をつけ、新しい秩序を築きつつある。
いまの中国の横暴なまでの発展をみると、民主主義が病だという指摘は、正鵠をいてるように思えてならない。

内田春菊との対談

困ったちゃんとは何か?

柳田國男や宮本常一がいう『教育とは平凡への強制である。』というのを基に、非凡は強制されても非凡だし、平凡に強制されて平凡な人は平凡が一番楽だという所から始まるのだが、平凡と非凡、平凡を強制されずに非凡たれとしてる害悪について話している。これは僕も尤もだと思っていることで、最近よく聞く言葉的に言えば『同調圧力』がそれにあたると思う。同調圧力が日本の駄目なところみたいに語られる事があるけど、本当にイノベーションを生み出すような人は、同調圧力なんか気にも留めないし、なんなら気が付きもしない。好き勝手やって平気。自分が飛び出したと言う意識すらない。
平凡もそうだけど、平凡な人間の存在があって平凡が既定されるように、同調圧力に従う人間がいて同調圧力が発生する。同調圧力が嫌な人間ってのが、実は同調圧力を顕在化させてる。

よく同調圧力が嫌で日本を抜け出して、みたいな人がいるけど、そういう人ってたいがい学生時代や卒業後に行くんだけど、学生時代の同調圧力って精々友人関係やクラブ活動で、いつでも簡単に抜け出せるのに、渡米までしてしまう。彼らって日本社会の何がわかったつもりで行くんだろう。単に同調圧力に苦しむ自分に酔ってるだけで、それが自縄自縛に過ぎないことを考えたこともない。
この本にある凡人が非凡たらんとする害悪について語っているが、同調圧力に抗わんとする害悪もまた酷い害悪だ。型にはまらないとか小室哲哉が夢を軽々しく安く語っていたのも似た害悪だ。

座談会

なんとも楽しそうな会だが、いかんせん読み物としては無駄が多い。こねくり回してもハゲはハゲだ。ワイワイガヤガヤと楽しそうな様をみせて読者のネタミを煽っているだけだ。ひとつ気になったのは、糸井重里でも純粋な聞き役に回るんだな。呉智英の前では。

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