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46歳からの読書【O嬢の物語】

人は読書により成長し、知識だけではなく思想や信念を育む。
ただの娯楽として読んだ本から大いなる知見を得て、人となりに大いなる影響を受ける事すらある。
しかし人はその人の資質で、読書傾向があり、つい避ける類であったり、手にすることすらない数多の本が世には溢れている。世界的名作とは知ってはいたものの今まで触れる事すらなかった本がある。ポルノである。

O嬢の物語 ポーリーヌ・レアージュ

物語はO嬢がロワッシーの屋敷に連れていかれるところから始まる。初め、O嬢には人格を感じさせない。いや登場する人の全てに情欲すら感じさせない。淡々と物語が始まる。序文に奴隷状態の幸福とあったので、O嬢に人格を感じないのは分からないでもないが、他の登場人物に情欲が感じないのはポルノとしてどうなのかと思いつつ、読み進める。
そうかこれはシチュエーションのエロなのだ。
AVは見るが、なかなかポルノには接してこなかった。ましてやポルノ小説を通読するのは初めてのことである。お作法が分からない。
思っていたのとちゃう。蜜壺とか出てこない。いきり立たないし、奥から溢れてきたりしない。シチュエーションの描写に徹底されている。
もちろんこの作品の特性なのだろうが、SEX描写、体勢や状況は細微に丁寧に描かれているが、興奮、上気、快感が描かれていない。何なら直接的な挿入の描写がほぼない。全編がエロなのにシチュエーションの設定が終われば描写は終わる。エロいんだけどエロくない。出会って2秒で挿入とか男の直接的な性欲を見て育った私としてエロいんだけどエロくない。
初め、これは女性が書いたものなんだなと思ったわけです。男にとっては挿入、吐精がなければセックスではないが、女性はシチュエーションを重視すると聞く。徹底したエロい設定、エロい舞台装置の描写なのだ。
無機的な状況描写だけの1章が終わると徐々にO嬢が感情を持ち、奴隷化が進むと逆に人としての描写が増えていく。逆にそれ何ってなる。はじめこそ大事なんじゃないのって思うが仕方がない。
女性をモノとして人格を否定し、奴隷状態の幸福と言うが、その部分が思うほど描写されていない。女性を他人に貸すことて支配関係を描写している割には、ステファン卿の独占欲的な描写も現れ始める。何か一貫性がないようにも思う。
それでいて最後は唐突に終わる。最終章が発表の過程で省かれている体裁だ。
あれ?これってめんどくさくなった?
そうか、これは読者の性欲を掻き立てるためのポルノではなく、作者の為の作品なんだ。それも自分の欲望と妄想を吐き出すようにある種の自慰行為のような作品ではなく、作者が考えたエロい設定を書く発表するためのポルノなんだ。あたらしいエロの定義化。提案なんだ。

となると、これは誰かしらの性的喜びの為に書かれたものではない。性欲の質で、女性か男性かを判断することは出来ない。ならば後書きにもあるように男性作者による作品だったのか。
となると、これは奴隷状態の幸福という概念以外に価値がなく、これでエロ目的で読むものではない。
この本は新しいエロの提案として、エロの妄想を披露するために、書かれたポルノであり、発表した時点である種、エクスタシーを迎えているのだ。

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