一料理人、ナポリとの別れ

こんにちは、ハヤシヨウヘイです。
早いもので一年の内の半年が経過し春となりました。
このころに新たに日本人コックが入り、私は仕込み時間もキッチンで働くようになります。
SECONDO・メインの仕事を任されるようになるのですが、ここからが本格的に仕事が始まったといえたのかもしれません。


ある意味それまでは、魚の処理をしていればいいだけだったのでしょう。
”できる仕事の熟練度を上げていく”のが、”初めての仕事をこなす”とこに明確に変わった瞬間でした。
常に副料理長と一緒に仕事をする中で、それまで以上にイタリア語への理解が必要でした。
理解していたはずのことが間違えだと怒られることはざらで、周りのイタリア人の理解しづらい話を聞きながらの仕事にストレスを感じてもいました。
高い完成度を要求される仕事に常に集中しなければいけませんでしたし、このころが一番必死だったかもしれません。

仕事が終わって家に帰りシャワーをしてから、その日に言いたくても言えなかったことをノートに書きとる、翌日言われそうなことを予想する、といったことは毎日していました。
時間があれば、イタリア語の料理本を読んで総合力を上げる。
夜中の3時になることも少なくはなく、同部屋の同僚には悪いことをしたなあと今ではおもいます。
(その当時、店の寮暮らしで6人が2部屋に詰め込まれていました)

それでも最後のほうには、何とか認めてもらうことができたのか副料理長の態度も穏やかになっていったように思います。
彼も生粋のナポレターノで、ナポリ料理のことを質問した時にはとてもうれしそうに教えてくれました。

ストレスやプレッシャーを感じることもたくさんありました。
それでも星付きレストランでしかできない仕事をやらせてもらえましたし、一年通して働いたことで、季節ごとの食材やメニュ、ナポリの行事ごとなどを見られたことは自分にとって大きな経験でした。
途中で辞めなくてよかったと心から思います。

そして、一年がたって9月、引き留められた時には躊躇しましたが、当初の予定通りカンパーニャのTorre del Saracino を辞めて、次の店へ移ることにしました。
次なる土地は再びトスカーナ州です。

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