手を握ってくれるだけで
明日で生後100日。体重も徐々に減ったし、帝王切開の傷の痛みはなくなった。生理の再開はまだだけど、徐々に妊娠前の身体に戻りつつある。
ただ、産後、戻っていないことがある。
手にある、点滴の跡だ。
内出血は落ち着いたけど、跡は消えそうにない。大量出血輸血の痛みに耐え抜いた、努力の証だ。
育児に忙しくて、出産を思い出すことが減ってきたけれども。手を見ると、あのときの思い出が蘇ってくる。
麻酔が入って、赤子を取り出すまでは看護学生さんが手を握ってくれていた。怖かったけれど、大丈夫ですよの言葉に心が安らいだ。
子どもが生まれると、私の手を握っていた手は離れた。そして、大量出血によりバタバタする手術室。飛び交う言葉はよくわからないけれど、輸血を増やされているあたり、危ないことは何となく分かる。血が入っていく痛みにもだえながら、呼吸が苦しくなりながら…わたしの心は不安に侵されていった。
手を、握ってほしい。
手を握っても血が止まるわけではない。呼吸がうまくできるわけではない。でも、でも、そのときの欲求は、手を握ってほしいの、ひとつだった。
バタついている手術室で、呼吸が苦しい私は、手を握ってほしいと言えなくて。不安な時間が過ぎていった。
徐々に周りも落ちついて、私も言葉を発する余裕が出てきた。とはいえ、手を握って、だなんて恥ずかしい。握ってほしいけれど、言い出せなかった。
そんなとき看護師さんが、
大丈夫ですよ。
と声をかけてくれた。その言葉に私は、反射的に、
手を握ってください。
と、言葉が漏れた。
もちろんです。
そう言って私の手は温もりに包まれた。
ほっとして、涙が出た。
病室で夫に手を握ってもらえて、生きていることを実感した。
気のせいかもしれないけれど。
とんでもなく小さい手の我が子も、手を握ると泣き止んでくれることがある。
安心してくれているのかな。
そして、小さな我が子が指を、いや、手を握ってくれると、誰もが笑顔になる。ぎゅっと握るおててが、とんでもなくかわいいのだ。もちろん私も、我が子に手を握ってもらうのが大好きだ。
手を握るって、なんて大きな力を秘めているんだろう。
もう少し大きくなったら、手を繋いでお散歩して。振りほどかれる手を無理やり掴んで。そしてそのうち、手を握ってくれなくなるんだろうなあ。
でも、ときたま。
手を握ってよ。
と笑いあえる親子になれるといいなあ。
そして、私たち夫婦はずっと手を握っていたいなあ。
手を握る幸せ。毎日毎日、噛みしめる。
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