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ブータンに愛された日本人🌈

今から約60年前。

一人の日本人男性が、ブータンを訪れました。


ブータンは、高低差が激しい国。

南部の標高が100mなのに対し、北部の標高は7,550m。

田畑に使える土地が1割ほどしかなく、気候の変化も激しいため、食料自給率は60%以下でした。

そんな国の状況を重く受け止め、当時のドルジ首相が、食料自給率を上げようと、日本の植物学部助教授に、農業指導者の派遣を依頼しました。

その助教授に依頼され、ブータンを訪れたのが、農業指導者で植物学者の西岡京治さんでした。


西岡さんはまず、パロという地域で、200平方メートルの小さな農地を借り、指導を行いました。

与えられた任期は、2年。

彼はあらかじめ、大根の種を日本から持って来ていました。

大根は、気温の変化が激しい場所でも育つ野菜。

「身の丈に合ったものを育てる」

これが、彼の考えでした。


2ヵ月後。

予想を遥かに超えるサイズの大根の収穫に成功します。


その後、トマトやキャベツを栽培し成功。彼は、様々な作物の栽培を、次々と成功させます。

すると、国の国会議員が、

「ニシオカの野菜は美味しくて、高く売れる」

と、太鼓判を押し、それに伴い、指導の範囲が一気に広がります。


そんな中、彼の活躍を聞きつけた当時の国王が、国に対して『任期の延長』を求めます。

そして、彼の任期が延長されることになったんです。


その国王から直々に依頼され、次に指導を行ったのが、パンバンという地域。

この地域には、非常に貧しい村がありました。

その村での米作の指導を依頼されたんです。

しかし、村人たちから、

「国王からの依頼で来た詐欺師だ」

と、詐欺師呼ばわりされてしまいます。

それでも彼はめげず、幾度も話し合いの場を設け、説得を重ねます。

その回数は、800回にも及んだそうです。

その熱意に村人たちも感服。

彼は、5年の年月をかけ、村人たちに指導を行い、その結果、水田の面積は50倍、自給率は100%を越えたそうです。


彼の栄誉を讃え、国から『ダショー』という勲章が送られました。

『最高に優れた人』という意味をもつ、ダショー。

裁判官長など、位の高い人物にしか送られない貴重な勲章です。


その後も、ブータンの農業の発展に大きく貢献した西岡さん。

任期は、28年にも及びました。


しかし、ブータンを去る直前、彼は病に倒れてしまいます。

病院へ運ばれましたが、敗血病という重度の肝臓障害を患っており、そのまま帰らぬ人に。


訃報を受け、国は、彼の葬儀を『国葬』で行うことを決めました。

異例な事でした。

国葬当日、40人以上のお坊さんがお経を唱え、彼の功績を称えました。

弔問に訪れた人は、述べ5,000人。その中には、国の国王や王女もいたそうです。


1986年に国交が成立した日本とブータン。

友好関係を築けたのは、1962年からブータンの発展に貢献し続けた彼の功績が大きいと言われています😌

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