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日本最古の果物の一つ!日本の梨栽培の歴史とルーツを辿る🌈

シャリッとした歯ごたえと瑞々しさが特徴の『梨』。

梨は、ミカン・リンゴに次ぐ、日本で第3位の生産量を誇る果物。

日本で『梨』と呼ばれているものは、ほとんどが『和梨(日本梨)』。ラ・フランスなど、西洋系の梨は『洋梨』と呼ばれています。

この和梨と洋梨のほかに、『中国梨』と呼ばれるものもありますが、洋梨ほど定着していないのが現状です。

中国梨は、かつて国の政策で日本に持ち込まれた梨。

現在も、国内で栽培されています。

日本では人気の和梨ですが、これまで海外では『サンドペア(砂梨)』と呼ばれ、「砂を噛んでいるようだ」と見向きもされませんでした。

それが、この四半世紀で、輸出量は増大傾向にあり、今ではミカンに継ぐ輸出量となっています。


日本人の梨のルーツを辿っていくと、静岡県にある『登呂遺跡』に辿り着きます。

この遺跡から、梨の種が発掘されているんです。

登呂遺跡は、弥生時代後期(1~2世紀頃)の遺跡。

この時代には、大陸から伝わった『水稲耕作』が始まっており、原始的な農耕がすでに行われていました。

この頃食べられていた梨は、『ヤマナシ』と呼ばれる野性の梨。

この時代、梨の木が生えていたのは、山中ではなく、集落の近辺に限られていました。

そのため、梨は、最初から日本で採れていたのではなく、稲作と同様、大陸から持ち込まれたものでないかと考えられています。

これらの事から、梨は「最も古い栽培果実の一つ」と言われているんです。


万葉集の中には、梨が出てくる和歌があります。

しかし、食べる果実として登場しているわけではありません。

梨が食べる果実として登場するのは、奈良時代の歴史書『日本書紀』。

その中に、持統天皇が梨の栽培を奨励している記述があります。

「主要な5つの穀物『五穀(稲・麦・粟・稗・豆)』のほかに、桑・苧(カラムシ)・梨・栗・蕪菁(カブ)の栽培を推奨する」

梨については、

「栗と梨を五穀の助けとする」

とあります。

つまり、穀物が取れない時の非常用の果実として、梨が認識されていたということです。


日本梨は、皮の色や形の違いから『赤梨』と『青梨』に分けられます。

かつて日本梨の二大品種とされていた、赤梨の『長十郎』と青梨の『二十世紀梨』は、明治時代に発見された梨。

なんと、二十世紀梨は、

「松戸市のゴミ捨て場に生えていたのを発見された」

という驚きのエピソードがあります。

しかも、私たちがよく食べている『幸水』や『豊水』は、二十世紀梨の孫にあたる品種。

日本人は、何らかの梨の種から突然変異で生まれたこの2品種が、最も美味しいと感じたということです。

不思議ですね😌

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