日本史上最大の謎!卑弥呼の秘密🌈
卑弥呼がいた明確な時代は、未だに明らかになっていません。憶測で書かれている情報が多いのが現状です。
成年は不明ですが、247年頃まで、邪馬台国(倭国)の女王であったと、中国の歴史書『魏志倭人伝』には記載されています。
あわせて約30の小国を支配し、神がかりによって神の意志を伝えたとされている人物です。
しかし、未だに、邪馬台国がどこにあったのかは分かっていません。
238年、卑弥呼は、魏の皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)の称号と金印を授かった」とされています。
この金印が出土すれば、邪馬台国が存在した決定的な証拠になるのですが、どの遺跡からも発掘されていません。
古くから、「日本書記に登場する神功皇后(しんぐうこうごう)は、卑弥呼である」と言われてきました。
しかし、日本書紀には、
「箸墓古墳(はしはかこふん)に埋葬されている人物は、倭百祖姫(やまとももそひめ)である」
とも、記載されています。
箸墓古墳は、卑弥呼が埋葬されていると言われているお墓。
つまり、「日本書記に登場する倭百祖姫は、卑弥呼である」とも言えるということです。
この時点で、卑弥呼なのではないかと思われる人物が二人、同じ神話の中で登場していることになります。
実は、この神功皇后と倭百祖姫。
古代氏族であり陰陽道宗家(陰陽道に由来する一族)の『賀茂氏』が絡んでいることが分かっているんです。
卑弥呼は、陰陽道のもととなった中国三大宗教の一つ『道教』を扱っていたとされる人物。
これらの事から、卑弥呼は、『賀茂女(かもめ)』であったと推定されています。
賀茂氏は、最初の八咫烏(やたがらす)とされている一族。
八咫烏は、賀茂氏の祖であり学者の吉備真備(きびのまきび)が、天平16年(西暦744年)11月に、聖武天皇の密勅(秘密の命令)を受け、丹波国で結成したのが始まり。
天平時代から幕末にかけて、天皇の身に危険が迫っている時、天皇を逃がす役割を担っていたとされており、主に迦波羅(かばら)と呼ばれる秘術を用いて護っていたと言われています。
つまり、陰陽道のもととなった道教を扱っていた卑弥呼は、八咫烏のメンバーとして、影で天皇を守る役目も担っていたということです。
私たち日本人は、「あまりにも自国のことを知らない国民である」と、海外では言われています。
「真実の歴史は古墳にあり」
古墳には、まだまだ知られざる歴史が多く隠されています。
前方後円墳・帆立貝形墳・円墳・方墳と、4種類の古墳がありますが、これらを壊さなくても、中を調べられる技術がすでにあります。
私たちに真実が発表される日が近づいているんです。
早く真実を知りたいですね😌
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