人間の多層性について

心の深く深くへ潜っていくと、さまざまな自分と出会うことがある。自分の知らない自分がたくさんいる気がしているのだ。

自分の考えている自分像に縛られてはいないか?そんなことを思ったことがある。自分が規定する自分、他人が規定する自分、それは氷山の一角が如く、ほんの一面にすぎない。人を立体的に見ると、善と悪の二元論ではわからない、複雑な多面性、多層性を持っていることがありありとわかるだろう。

よく意外な一面という言い方があるが、思っている人間性以外の部分を知ると意外だと思うことがある。しかし、人が見ている一面で規定するほど、人は簡単ではない。

人は心の奥にある、さまざまな顔を抑圧して、ごく一面だけを表に出して過ごしているともいえる。ならば、抑圧のブレーキを外して、さまざまな顔を見てみようではないか。

より豊かな人生とはなにか?という問いに、私はこう答えたい、「自分の中にいる色んな自分をより多く表に出して、さまざまな生きるを味わうこと」これに尽きる。

本を読むと多くの人の生きるに触れることができる。ただそれだけでは、実践がともなっていない。やはり体験としてさまざまな生きるをしないといけない。

私はコミュニケーションをしていると、相手にシンクロしてくることがある。そして相手の生きるが自分の中で体験として芽生えてくる。だから色んな人と話すのが好きだ。

Twitterで長年フォローしている人の何気ない日常をずーっと追いかけていることも好きだ。誰一人として、変化のない人はいない。時間の経過と共に、さまざまな体験をして、変容していくさまが、ありありとTwitterを通して迫ってくる。市井の人の人生。だからドキュメンタリーが好きだ。

ドキュメント72時間
https://www.nhk.jp/p/72hours/ts/W3W8WRN8M3/

家、ついて行ってイイですか?
https://www.tv-tokyo.co.jp/official/home_ii/

東京の生活史
https://www.chikumashobo.co.jp/special/tokyo_project/

不思議なことに知らない人の人生に触れる時、体験していないことなのに、懐かしいとさえ思うようなことがある。自分ではない人の人生なのに、自分のような気がするのだ。

ユングは心の深く深くに「集合的無意識」というものがあると言っている。そこの層は、みんな繋がっている。仏教には「事事無礙法界」という言葉ある。あらゆるものは、さまたげることなく、つながりあっている。あるいは、地水火風から全てが生成できるという錬金術の考え。多くの人の人生は、自分の人生と深いところでつながっているという気がするのだ。

だから私は、さまざまな人の生きるに触れ、また変容していくさまを見届けることが好きだ。それは自分の生きられなかったもう一人の自分のような気持ちでシンクロして見ている。

今日出会った生きるを少しだけ披露したい。

親の介護に悩む60代男性。母親が認知症になってしまい、3時間以内しか記憶がない。薬でなんとか進行を遅らせているけれど、状況はきびしい。それまでは平穏な生活をしていたけれど、突如として親の介護が降りかかってきて、言いようのない不満を抱えている。認知症のことについてよく考えることがあり、知人も認知症ではないか?と疑っている。自分もこの先認知症になるのか?と思うと嫌な気持ちなるという。(元職場の先輩、電話にて)

理学療法士から医者を目指して勉強中だったが方向性を模索中の35歳男性。小さい頃に目の病気をしており、20歳までをサングラスで過ごす。妻と4歳の子どもがいる。妻は18歳からの付き合いだが、その時期から精神疾患を抱えており、共依存のような関係から夫婦関係になったため、現在もぶつかることもしばしば。妻と離婚も考えているが、子どものためになんとか踏みとどまっている。+MさんとのTwitterスペースでの会話を通して、光明が見えてくる。妻と喧嘩になるときに、なんで自分がこんな目にあっているんだという苛立ちがある。+Mさんは、猫の世話をしているときに、猫とずっと一緒にいることに腹を括っている。少なくともそこの土台は崩れない。だから猫がなんかヤラかした時に、苛立ちよりも体調の心配が先に来るという。悩んでいる彼に対してまずは、妻と子どもと別れないと決めて腹を括ることを勧めていた。夫婦のような近い関係を改善させるのは至難の技と仰られていたのが印象的だった。(Twitterの+Mさんのスペースより)

イヤホン専門店に来店の音に過敏な中年女性。職場でのデスクワーク時に音が気になってしまう。秋葉原のイヤホン専門店にて、ノイズキャンセリングのイヤホンを探す。さまざまなイヤホンをじっくりと試して、お気に入りのものを購入。店の外に出たら大雨である。取材班が雨の音は気になりますか?という問いに、雨の音は好きなんです、と仰られていた。小さい折り畳み傘で大雨の中、帰っていく後ろ姿が印象的だった。(NHKドキュメンタリー72時間より)

自分の中には色々な面がある。他人とシンクロしやすい私は、さまざまな市井の人の「生きる」を追体験することによって、より豊かな生きるを実践していこうとしているのかもしれない。そこに通底する人生の悲哀とも言える、かなしさ、いとしさ、言葉にできない気持ちに触れて、ああ生きるとはさまざまな形があるけれど、みんな悲しくて愛しいなぁと人間愛のようなものを感じるのが随分と好きだ。これが私の豊かに生きるの一端である。


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